技術と人間2008/04/23 02:43

 勤務先で専門の講義ももつようになったが、院生のコンピュータ環境の整備を職務のひとつとしてきたので、しばしばコンピュータに関わる相談を受ける。

 実際、この8年間でたぶん直接みたPCだけで500台以上(所有者400人分以上)、またさまざまなOS、 何ヶ国もの人のコンピュータの利用の仕方をみることになったので、経験はずいぶん積ませてもらった。

 コンピュータの利用形態は人や分野によってさまざまである。大体、この種の個々の問題に対処できるのは経験的な知識と洞察力であって、その人や私がコンピュータ専門(といってもWindowsアーキテクチャを学ぶなんて学問分野にならないでしょう)かどうかということは無関係である。実際のところ、コンピュータといえば理系の人に・・・とステレオタイプな主張をする人は権威主義的な傾向を持ち、人を使いたがる(理系の人は注意してください)。

 しかし、この手の知識は経験的なものだからこそ、Web上に解決方法がかなり蓄積されている。だから極力、自分で対処しようと努力する人も少なくない。まずはそうあってほしい。

 様々な問題がもちこまれてくるが、たいていの場合、問題は利用者の性向や過度な期待か情報不足に起因する。これは私自身の環境でトラブルが起きた場合にもあてはまることで、その意味でコンピュータに関するトラブルは利用者自身の姿をうつす。つまりほとんどの場合は利用者の視線をたどることで解決できる。

 OSについていえば、Macはもともとそれなりに安定していたし、Windowsについても、2000以降は成熟したレベルに到達している。たまに問題がないわけではないが、適切なメンテをしていればトラブルはまれである。パーツは何年かにいっぺん、新プロセッサの登場による革新の波がくるにはくるが、Windows95(DOS/Vからか)以降、構成があまりかわらないといえば変わってないし、Macの中身もそうかわらない。ただ壊れた部品を特定するのに場合によって時間がかかるだけのことで何も難しいことはない。

 また物理や数学専攻でもないのに、Wordは洗練されてないと思うのでLaTexがどうのとか、Windowsは素人っぽいのでLinuxを使っているのだがcronがどうの質問してくる人は技術談義がしたいか、私を試験したい人である。例外なく問題を自分で解決する能力を持っているので、必要なのは話につきあうことである。まあチャレンジ精神は結構である。

 ところで、こうした職務をオフィスアワーを限って学生に対処すればよいなどという人がいる。しかし内容上、全くナンセンスである。ほとんどはノウハウの伝達ではなく、機械や利用方法をのぞき込む診療みたいなものだからである。

 ちなみに、私は昨日3人の教員の相談をうけ、学生のコンピュータ5台分の設定にかかわった。かりに相談時間を3時間に限ったとしよう。そうしたら、教員1名と学生1人にしか対応できなかったであろう。ひとつの問題で5時間があっという間に吹き飛ぶ場合も少なくないが、時間を限ったら、それは対応不能である。
 しかも問題は個別であり、個々人にとっては緊急である。これらに対応することで私の時間は予定も組めず細切れになるわけだが、問題をかかえている人からしてみれば「コンピュータの調子が悪いという稀なときしか仕事しない(と見える)」私が自分が困った時だけは対応してくれないと映る。だからこそオンデマンドで対応しないわけにいかない。

 学生によっては「先生(教員)ですか?(それとも事務職員ですか)」と質問してくるが、それが私の仕事の実態である。はっきりいってどっちでもいい。

 私はそういう職務だと理解して赴任したし、それに適応できるよう努力してきた。だから愚痴を書いているわけではない。
 教員の「研究」と「教育」によってのみ、組織がなりたっているわけでなく、その下に必ずしもクリエイティブとはいえない対人間の厄介な作業に従事する者達がいてようやく組織が動いている。その視点を実感として得ることができたのは幸運であった気がする。

 以前、200人規模の講義を2年持ったことがあった。採点とかレポートを出すと実に大変なことになる。しかし、教員は基本的に伝達事項は教壇から学生につたえ、質問は挙手させればそれで済む。
 事務系職員にそういう場はない。それでもそれ以上の数の学生に個々に状況を聞いて対応せねばならない者たちがいるのである。