再読 それがぼくには楽しかったから2008/05/10 01:56

リーナス・トーバルズ、デビッド・ダイアモンド(著)、風見潤(訳)『それがぼくには楽しかったから』、小学館、2001年。

 刊行された際に話題になったLinux開発者の自伝を再読。
 当時、Linuxはものすごく注目されていたOSだったし、GNU、GPL、オープンソースという言葉やMS社に対するLinuxのあり方が話題にもなっていた。それに私自身が一応ユーザーでもあったので、すぐ購入して、読了した。まあ、同時代人の伝記のひとつくらいよんでもいいだろう。

 現在、Linuxはそうとわからなくても携帯電話はじめかなり幅広く利用されるようになっているし、目立つところではEeePC(海外版ですが)などにも搭載されているらしい。
 Linuxにはディストリビューションという頒布形態が複数あって、これがなかなか個性豊かで、用途によってつかいわけたりもできるし、流行もある。
 当時はとりあえずはRed hatという感じだったとおもうが(今はFedore Coreとよぶはずだ)、ちょっと前までKnoppixの手軽さが話題になってたと思ったら、最近はUbuntu系(インストールしたこともみたこともない)という名前をよく目にする。
 また、ソフトについても最近はオープンソースのOffice系ソフトの能力も高くなってきたので、コンピュータを文書作成や管理に使うという用途もLinuxで事足りるはずだ(2001年当時は日本語変換、漢字入力、フォントが私の用途に合わなかったが)。

 本書を読み始めて、まず、リーナス・トーバルズが私とほとんど同じ年齢であるということに驚いたが、コモドールとかアミーガとか懐かしい名前がでてくると、ああ、そうかという実感がもてた。
 ただ、Z80A相当、32KBRAMのMSXを手に入れるのがやっとで、雑誌をみながら短いプログラムを入力してはテープに記録して満足していた私と彼とでは当時の環境と関心、能力がまるで違っていたこともよくわかった。

 かなりくだけた語り口調で書かれているので読みやすいところは読みやすいが、読みにくい場所もけっこうある。ただ、彼が何に関心をもち、どのように考えていたかは率直につたわってくる気がした。
 また、自伝というのはどうしても雑ぱくな内容になりがちで要約しがたいし、感想も述べにくいが、いくつか引用して終わりにしよう。

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 樹の上に作った家を考えてほしい。機能的で、跳ね上げ戸があって、頑丈な家を作ることはできる。でも誰にでもわかることだろうけど、単に頑丈な家と、美しくて、樹の特色を生かしている家とでは、何かが違う。芸術と技術をどのように組み合わせるかの問題だ。プログラミングがこれほど人を魅了する理由の一つはこれなんだ。(pp.121-122)
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 オープンソースというジグソーパズルの中で、一番理解されていないピースの一つは、どうしてこんなに大勢のプログラマーが、全くの無報酬で働こうとするのかってことだろう。
 順序としてその原動力について述べておこう。多少なりとも生存が保証された社会では、お金は最大の原動力にはならない。人は情熱に駆り立てられたとき、最高の仕事をするものだ。楽しんでいる時も同じだ。(pp.334-335)
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 彼も書いているが、ことはプログラムに限ったことではないだろう。彼にとって最高の仕事をするということはなんであるかがよく表れている。またそれはおおいに共感できる考え方である。

 以下蛇足。
 私はながいことOSにWindows2000とXP、それにソフトにMSOfiice2002を使ってきた。これらは私の目的を十分かなえてくれたし、道具として安定している。せいぜい調子が悪くなったHDDの交換と引っ越しをするくらいで変更する必要を感じない。ただ、XPのメンテ期間がきれ、ネットワーク上の危険を負う可能性が生まれた時、間違いなくこの組み合わせを変更せざるを得ない。

 現在も組み合わせの一部変更は進行中である。
 IE7は頻繁にクラッシュし道具として最悪だったので、現在はFireFox主体でIE6を併用している。また高価なOffice2007も使いにくいようなので、次はしばらくOpenOffice主体にしてもいいかもと思っている。またOSの選択肢としてMacもありだろう。Neo Officeもある。しばらく、Panther(現在の新バージョンはLeopard)をつかう機会があったけど、たしかに十分だ。全然困らない。
 つまりそのときどきのベストな選択であればなんでもいい。発想は発想として評価するし、道具は道具として評価する。今の私にとってOSやソフトは道具でしかないから、その基準で選択するだけのことである。それは金額だとか新しいとか、そういったこととはあまり関係がない。

拝受 北魏における滎陽鄭氏2008/05/10 14:35

窪添慶文、北魏における滎陽鄭氏、『お茶の水史学』51号、2008年3月。

窪添先生からいただいた。ありがとうございました。

 「北魏政権により「四姓」のひとつとして認定され、その門閥としての地位が唐まで続いた滎陽鄭氏」の「政治的な行動に込められた自他の期待と、それを支えたものをできるかぎり詳細に分析」している。
 なお、『お茶の水史学』51号は窪添先生の退官記念の特集も組まれており、先生の履歴や研究業績の一覧も載せられているようである。

 また最近、『東方』の記事をとりあげてなかったが、窪添先生による『北朝胡姓考』の書評がある。

窪添慶文、書評・なお座右におきたい書(『北朝胡姓考』)、『東方』第325号、2008年3月。

 姚薇元(著)『北朝胡姓考』は北朝史研究にはかかせない研究書で最近、修訂版がでた。しかし、近年の石刻史料研究などの進展により書き直すべき点もすくなくない。窪添先生の書評にはこの点がいくつかあげられている。その視線をたどって、『北朝胡姓考』と墓誌の間に沈潜していけば、新しい研究ネタがいくつもみえてくるはず。『北朝胡姓考』に付しておきたい書評である。

http://iwamoto.asablo.jp/blog/2007/09/22/1814200