反省 ― 2010/04/25 21:09
ネタを思いつく内が華とばかりに、次々と論文を書くのはよいのだが、どうも書けば書くほど恥もかくという面もあって、ミスが絶えない。
基本的な能力の問題なのかもしれないが、もうここまでくると後戻りはできないし、修行し直しもできないわけである。広げてしまった風呂敷はきちんとしまわねばならない。ということで書き進めることにする。ご批正をいただけることに感謝しつつ。
基本的な能力の問題なのかもしれないが、もうここまでくると後戻りはできないし、修行し直しもできないわけである。広げてしまった風呂敷はきちんとしまわねばならない。ということで書き進めることにする。ご批正をいただけることに感謝しつつ。
拝受 吐魯番本『爾雅注』について ― 2010/04/25 21:54
張娜麗、吐魯番本『爾雅注』について、『敦煌・吐魯番出土漢文文書の新研究』、2009年3月。
張先生からいただいた。ありがとうございました。
結論を四点に集約されているが、私の関心からいえば最初の一点がとくに重要に思えた。
「吐魯番本は、その遺存している部分からすれば、・・・・こうした形態は吐魯番本がテキストそのものの姿をより正確に写し記すということから起こされたのではなく、一種の識字練習のために随意にテキストを写し記す中から起こされたものであることを証すようにおもわれる」(原文正字)
張先生からいただいた。ありがとうございました。
結論を四点に集約されているが、私の関心からいえば最初の一点がとくに重要に思えた。
「吐魯番本は、その遺存している部分からすれば、・・・・こうした形態は吐魯番本がテキストそのものの姿をより正確に写し記すということから起こされたのではなく、一種の識字練習のために随意にテキストを写し記す中から起こされたものであることを証すようにおもわれる」(原文正字)