拝受 アジナ・テパ仏教寺院考古学調査報告 ほか2011/06/02 17:37

東京文化財研究所文化遺産国際協力センター/タジキスタン共和国歴史・考古・民族研究所(山内和也編集)『アジナ・テパ仏教寺院考古学調査報告(2006~2008年)』(中央アジア文化遺産保護報告集第7巻・日本タジキスタン文化遺産共同調査第5巻)、東京文化財研究所、2011年1月。

東京文化財研究所文化遺産国際協力センター/タジキスタン共和国歴史・考古・民族研究所(編)『カフカハ遺跡群出土壁画』(中央アジア文化遺産保護報告集第6巻、日本タジキスタン文化遺産共同調査第4巻)、東京文化財研究所、2010年9月。

東京文化財研究所からいただいた。ありがとうございました。いただいてから一ヶ月以上がすぎた。後者は別ルートでもいただいていて以前紹介済み。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/12/13/5579357

前者、アジナ・テパの遺跡は7~8世紀のものとされる。表紙写真のとおり、印影のある大甕の破片が出土している。解説によると、数多く出土した甕片のうちこの一点(二顆)だけが確認されたという。また、これら印影を指輪印章を捺したものとみて、図像の分析をおこなっているが何をあらわすかは不明とする。たしかに興味深い。

拝受 バーミヤン仏教石窟の建築構造およびその意匠と技法 ほか2011/06/02 18:04

東京文化財研究所文化遺産国際協力センター/奈良文化財研究所/アフガニスタン情報文化省(山内和也責任編集・鈴木環補佐)『バーミヤン仏教石窟の建築構造およびその意匠と技法』(アフガニスタン文化遺産調査資料集第5巻)、東京文化財研究所文化遺産国際協力センター、2011年3月。

東京文化財研究所文化遺産国際協力センター/奈良文化財研究所/アフガニスタン情報文化省(山内和也責任編集・山藤正敏補佐)『バーミヤン遺跡保存事業概報 2009・2010年度』(アフガニスタン文化遺産調査資料集第6巻)、東京文化財研究所文化遺産国際協力センター、2011年3月。

前者はカラー写真がふんだんにもちいられており、バーミヤン仏教石窟の全体が把握できる。とくに「建築構造およびその意匠と技法」に焦点があてられている。後者は写真は白黒。遺物は細片が多い。ともに考古学的発掘報告となっている。

新収 世界史史料 ほか2011/06/08 19:48

歴史学研究会(編)『世界史史料4、東アジア・内陸アジア・東南アジアII 10-18世紀』、岩波書店、2010年11月。
V.Vバルトリド(著)小松久男(監訳)『トルキスタン文化史2』(東洋文庫806)、平凡社、2011年3月。

ともに以前購入したものの続編。購入してずいぶん時間が経った。まだまだ記録しておこうとおもう雑誌、図書が山積。
 今年はさらに内陸アジア・中央アジア関連の日本語図書が続々と刊行されているが、ある程度入手した順に記録しているので紹介するのはいつになることか。

新収 三国志-演義から正史へ、そして史実へ ほか2011/06/08 19:58

渡邉義浩(著)『三国志-演義から正史へ、そして史実へ』(中公新書2099)、中央公論社、2011年3月。

三村太郎(著)『天文学の誕生-イスラーム文化の役割』(岩波科学ライブラリー173)、岩波書店、2010年8月。
ダニエル・ジャカール(著)吉村作治(監修)遠藤ゆかり(訳)『アラビア科学の歴史』(知の再発見叢書131)創元社、2006年12月。

近藤好和(著)『武具の日本史』(平凡社新書539)、平凡社、2010年8月。
宇田川武久(著)『江戸の砲術師たち』(平凡社新書512)、平凡社、2010年2月。

自分が知らない世界にちょっと入り込めた気がするのが新書の類の良いところである。またむずかしい研究が平易に説明されていたりもする。長時間移動の際にでも読もうと購入。いずれも読了していない。

新収 却穀食気・導引図・養生方・雑療方2011/06/08 20:25

白杉悦雄・坂内栄夫(著)、馬王堆出土文献訳注叢書編集委員会(編)『却穀食気・導引図・養生方・雑療方』 (馬王堆出土文献訳注叢書) 、東方書店、2011年2月。

待望の翻訳。これまた購入して長い時間が過ぎてしまった
 たしか十四点ほどになる馬王堆医書のうち、『漢書』藝文志の医書の四分類を適用した場合に「経方」に分類可能な『五十二病方』は既刊。講義で利用させていただいており、便利で画期的。今回刊行された内容は不老長生に重きをおくもので、おなじく藝文志の分類では「神仙」類にふくまれる。残り二分類『足臂十一脈灸経』等の「医経」類、『胎産書』・『十問』などの「房中」類をおさめる各続刊の完成がまちどおしい。
 なお、馬王堆医書については京大人文研研究班による『新発現中国科学史資料の研究(訳注篇)』(1985年)におさめられたものがあり、今回の新訳ではその成果もふまえられているようである。

http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4497210081&bookType=jp

新収 東洋史研究 第69巻4号、史学雑誌 第120編第2号2011/06/09 21:05

『東洋史研究』第69巻4号、2011年3月
 前島佳孝、西魏宇文泰政権の官制構造について

『史学雑誌』第120編第2号、2011年2月
 水間大輔、秦漢初における県の「士吏」

 前者は丁寧に先行研究と史料をすりあわせることで先行研究の認識のズレをあきらかにし、問題点を整理したうえで結論を導き出している。西魏北周政権の特異性がどこにあるのか、またなぜ西魏の官制が論じられなければならないのか、これまで見過ごされてきたのはなぜか、先行研究にひきずられることなく、明解に論じられている。
 後者はここ数十年の秦漢期の簡牘の発見によって相当な数になった史料から従来の研究では見出し得なかった諸点をあきらかにしている。

 新収と書いたがともに最近手にしたわけではなく、震災前後には自分の手元にあったはず。震災以前にも、ここ数ヶ月、ずいぶんと多くの雑誌の記事を記録しないままだった。

新収 稀見唐代天文史料三種2011/06/12 21:51

高柯立(選編)『稀見唐代天文史料三種』上中下、国家図書館出版社、2011年1月。

『天文要録』『天地瑞祥志』『譙子五行志』を影印でおさめる。前二者は日本の研究者の研究で知られる日本蔵写本。

新刊 高田藩榊原家書目史料集成2011/06/17 23:18

朝倉治彦(監修)浅倉有子 岩本篤志(編集・解説) 花岡公貴(解説)『高田藩榊原家書目史料集成』全4巻、ゆまに書房、2011年3月。

http://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843335789

 「御書物虫曝帳」のほか、これまで公表されていなかった未公刊資料多数。目録学的見地から目録を編年的に排列構成し、榊原家の蔵書の聚散過程の見取り図となることを企図した。また「榊原家御系図」は榊原家略本紀にあたる基本史料で、今後研究に欠かせないものとなるであろう。
 第3巻(浅倉・岩本)と第4巻(花岡)に解説を、第3巻に資料索引をおさめ、とくに索引はゆまに書房編集部の念入りなご支援も得てきわめて詳細なものとなった。まず書誌学的な研究には役立つはずである。

第1巻『榊原家(村上)御書物虫曝帳』
 御書物虫曝帳

第2巻『榊原家(姫路・高田)書物目録』
 御書物入目録帳
 一ノ印長持並棚之内惣体外ニ有之御書物帳
 箪笥入御書物帳
 御書物虫干目録
 播州姫路城図
 君公御蔵目録
 御書物役心覚書
 本丸御殿絵図
 高田修道館絵図

第3冊『近代の榊原家・修道館関係目録』
 修道館蔵皇典書目
 御宝蔵納御記録覚帳
 原田家古文書目録
 榊神社古書類目録草稿
 室井常領翁寄付古書類目録草稿
 清水広博翁寄付古書類目録草稿
 清水広博翁家門先代ヨリ伝来殿様御書目録
 清水広博翁着用衣類遺物目録
 庄田家寄付採納願付目録
 修道館文庫目録
 榊原政敬家蔵書目録
 榊原政春氏所蔵図書目録
 榊原家ヨリ購入ノ図書目録

第4冊『榊原家御系図』
 榊原家御系図

 浅倉、花岡先生は日本近世史専攻でとくに高田藩に関してはエキスパートである。日本史、国文の研究者にはもちろん、また江戸時代の東アジア交流史にも有用だと思う。
 
関連情報
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/06/13/5158376
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2009/09/03/4559730

[正誤] (今後も追加していきます)

索引 主国合結記 → 主図合結記

Paul Pelliot's Namecard2011/06/18 11:50

某所で撮影したペリオ(1878-1945)の名刺。肩書きはコレージュ・ド・フランス教授、学士院会員。(当該の肩書きはちょうど100年前の1911年以降のもの。住所はぼかしてみた)。左部分の黒ずみは糊によるもので、ある記録簿に貼り込まれている。記録簿はめくっていくと白堅なる人物の署名があるなど、敦煌文献にゆかりのふかい資料といえる。いずれ紹介する機会があるだろう。
 なお写真掲載は資料所蔵者の許可済み。ご遺族の許可は得ていないが、歿してから60年以上すぎているので問題はないと思うのですが。

追記:更新が異常に遅れている。このブログの情報はまだ3月あたりの情報。少し回転を速くしたいのだが、締め切りが次々にくるため、ブログなんて書いている場合があったら、ということになりそうで更新もままならない。今月末にも締め切りが。

新収 史学雑誌 第120編第5号2011/06/21 20:46

『史学雑誌』第120編第5号、2010年の歴史学界、2011年6月。

 毎年6月に刊行される回顧と展望が既に到着している。
 先のエントリは3月末くらいに書くつもりのことだったので、その間2か月にいただいた論文を後回しにするのはもうしわけないが、極力早く時計の針を修正するということで先に記録しておく。

 回顧と・・・の評者は若手研究者にはわりにあわない大変な仕事である。どうも2,3箇所の分野を見るとあまりご自身では情報を集めなかったのか情報収集不足の観があったりして脱力感のある分野とそうでない分野が交錯している。ところによっては評者の論文の書き方や出身ゼミの学風、価値観が評文に(良い意味でも悪い意味でも)でていたりと興味深い。

(アクセスが増えた。一般的に書くには粗すぎる内容もあったので、要点を絞った)
 
 なお、個別の話にはなるが、贋物であるという疑いさえあった五胡関係の内容を持つ敦煌文献の真贋、年代、出土資料の性格を論じた拙稿を五胡時代の「単なる史料批判、新出資料の紹介といった方法論」と位置づけ、全く異なるレベルで編集されている佚文集とあわせて、将来的に「五胡時代の国家に関する包括的理論」をもとめたい、とする評文には驚いた。佚文集の趣旨とも拙稿の論点とも関係がない。

 そもそも敦煌文献(典籍)に書かれていた内容を史料として扱うということと敦煌文献としての資料的性格を論じることはわけて考えなくてはならない(敦煌「文書」の場合は一体で考えることが多い)。該当資料は史料としての価値は決して高いとはいえず、拙稿ではその内容をふまえつつ敦煌文献としての資料的性格を論じたのである。目的はそこにあって「五胡」にない。また年代不詳の典籍断片の年代、書名を確定していく作業は「史料批判」ではないであろう。

 佚文集はどちらかというと自分は史学史的興味と史料参照に便利であることから、参画し編集したもので、それを用いてさえ五胡史を描くのには多くの難題がある。出土文献も稀少であって中国史でもっとも扱いづらい領域のひとつ(だから論文も少ない)だと思っている。
 また佚文集や拙稿(前稿がある)をあとで発表された佚文集関係者の研究の補足と理解されているようだが、研究史としては扱いがまったく逆である。

 ただ、包括的理論や「王朝の制度思想全体を論じる視点」を至上の目的とする「評者が属する世界」があるのだろう。外にいる私にもその現代的意義をまずお教え願いたい。

 私は現在の魏晋南北朝史においては、まず、編纂史料以外の資料を史料としてもちいていく分析手法の開拓がもとめられていると思っているし、その点は数年前の拙稿に示したとおりである。
 編纂史料から抽出された史実や世界観を天下国家としてまとめるのではなく、その外にある資料を論じることで編纂史料の編纂者の意図やその限界がうきぼりにしていかなくてはならないのではないか。そしてそれだけの資料がでてきている。
 そのように他時代と同様の水準まで編纂史書偏重の状況が脱却できたならば、その先の大きなテーマの一つとして国家論もあってよいとは思う。
 
 ただこうした評がでてくる背景には、これまでの出土資料や史料整理による魏晋南北朝期の研究が一定の世界像をえがきだしてこなかったことへの不信があるのだろうとうけとめた。