新収 『敦煌学輯刊』2011年第1期 ― 2011/11/26 11:47
『敦煌学輯刊』2011年第1期(総第71期)、2011年3月
陸慶夫、敦煌漢文文書中的民族資料分布概述
王惠民、敦煌与法門寺的香供養具
陳金生、両漢質子与敦煌的密切関係ー兼談質子与中西文化交流
郝二旭、唐五代敦煌地区水稲種植略考
屈直敏、敦煌写本『籯金』系類書叙録及研究回顧
竇懐永、論敦煌文献残損対避諱断代的影響
他11点を載せる。
なお音韻関係や変文については論文名をメモしていないが、他号を通じて必ずといってよいほど掲載されている。
陸慶夫、敦煌漢文文書中的民族資料分布概述
王惠民、敦煌与法門寺的香供養具
陳金生、両漢質子与敦煌的密切関係ー兼談質子与中西文化交流
郝二旭、唐五代敦煌地区水稲種植略考
屈直敏、敦煌写本『籯金』系類書叙録及研究回顧
竇懐永、論敦煌文献残損対避諱断代的影響
他11点を載せる。
なお音韻関係や変文については論文名をメモしていないが、他号を通じて必ずといってよいほど掲載されている。
新収 敦煌学輯刊 2010年第3期 ― 2011/11/23 17:33
『敦煌学輯刊』2010年第3期(69期)、2010年9月
鄭炳林・曹紅、唐玄奘西行路線与瓜州伊吾道有関問題考察
李正宇、玄奘瓜州伊吾経行再考
陸離、関于敦煌文書中的“Lho bal”(蛮貊)与“南波”、“南山”
王祥偉、試論吐蕃政権対敦煌寺院経済的管制
李軍、晩唐帰義軍長史及司馬問題再探
崔世平、“刻毡為形”試釈-兼論突厥的祆神祭祀
劉永明、日本杏雨書屋蔵敦煌道教及相関文献研読札記
陳涛、日本杏雨書屋蔵唐代敦煌本『雑律疏』残巻略説-原李盛鐸旧蔵敦煌写本
吉田豊(著)山本孝子(訳)、有関新出的粟特文資料-新手書記写給父親的一封信:兼介紹日本西厳寺橘資料
利夫希茨(著)楊富学・趙天英(訳)亜洲博物館蔵摩尼教文献
劉論文は敦煌秘笈・羽003R、羽072aV、羽038V、羽072b-1、羽072b-2、羽19R、羽15、羽44、羽040Rに言及する。羽072aV、羽038Vは拙稿で十分に分析できていなかった覇史佚文の背面であり、ここで示されたのは簡単な分析ではあったが、学ぶところがあった。また羽44は「百怪図」、羽040Rは『新修本草』序例で、それぞれ拙稿または私の口頭発表原稿もふまえて紹介されている。劉先生は昨年度、京都大学に滞在しておられた。
陳論文は敦煌秘笈・羽20Rを中心とした分析。陳先生は昨年度、明治大学に短期滞在され、敦煌秘笈に関して調査をして帰国された気鋭の若手研究者。ただ、本稿で示される見解は岡野誠先生の発表に依拠するところがおおきく、新資料の紹介という域を出ていないように読んだ。コレクション全体に網を掛けようという気概は素晴らしいが、まずはある程度、得意分野、未開拓分野からじりじりと分析されたほうが創見があるのではないかと思う(私にも同じことはいえるという御方もおられるかもしれないが)。なお、陳涛さんからは、このほか執筆された論文をPDFでいただいているので追って紹介していきたい。大体、原載誌も入手したところであった。ともかく劉先生、陳先生に感謝。この分野だけに限っても、日に日に新出公開資料が増えている。こうした関連研究を拝読しながらさらに研鑽を深めることにしたい。
吉田論文は「新出のソグド語資料についてー新米書記の父への手紙から:西厳寺資料の紹介を兼ねて-」、『京都大学文学部紀要』49、2010年にあたる内容となるようである。
なお、以上の他、9点が掲載されている。
※本日は他人の論文校正・修正にほとんど時間を費やした。もちろん査読とかそういう名のある方がする作業ではなくゼミなどの一環でもない。自分の研究とも関係ない。ただ誰がやったともわかりにくくても必要な作業である。その次は共同出版関係のメール書きだった。こういうブログを書いていると研究時間がありそうにみえるだろうが、ほとんどの時間は自分の時間ではない。たぶんおおかたの人がそうなのだろうけど。
天気はいよいよ、毎日のようにどんよりしているか嵐がふくかの日本海側の冬らしい様相を呈してきた。
鄭炳林・曹紅、唐玄奘西行路線与瓜州伊吾道有関問題考察
李正宇、玄奘瓜州伊吾経行再考
陸離、関于敦煌文書中的“Lho bal”(蛮貊)与“南波”、“南山”
王祥偉、試論吐蕃政権対敦煌寺院経済的管制
李軍、晩唐帰義軍長史及司馬問題再探
崔世平、“刻毡為形”試釈-兼論突厥的祆神祭祀
劉永明、日本杏雨書屋蔵敦煌道教及相関文献研読札記
陳涛、日本杏雨書屋蔵唐代敦煌本『雑律疏』残巻略説-原李盛鐸旧蔵敦煌写本
吉田豊(著)山本孝子(訳)、有関新出的粟特文資料-新手書記写給父親的一封信:兼介紹日本西厳寺橘資料
利夫希茨(著)楊富学・趙天英(訳)亜洲博物館蔵摩尼教文献
劉論文は敦煌秘笈・羽003R、羽072aV、羽038V、羽072b-1、羽072b-2、羽19R、羽15、羽44、羽040Rに言及する。羽072aV、羽038Vは拙稿で十分に分析できていなかった覇史佚文の背面であり、ここで示されたのは簡単な分析ではあったが、学ぶところがあった。また羽44は「百怪図」、羽040Rは『新修本草』序例で、それぞれ拙稿または私の口頭発表原稿もふまえて紹介されている。劉先生は昨年度、京都大学に滞在しておられた。
陳論文は敦煌秘笈・羽20Rを中心とした分析。陳先生は昨年度、明治大学に短期滞在され、敦煌秘笈に関して調査をして帰国された気鋭の若手研究者。ただ、本稿で示される見解は岡野誠先生の発表に依拠するところがおおきく、新資料の紹介という域を出ていないように読んだ。コレクション全体に網を掛けようという気概は素晴らしいが、まずはある程度、得意分野、未開拓分野からじりじりと分析されたほうが創見があるのではないかと思う(私にも同じことはいえるという御方もおられるかもしれないが)。なお、陳涛さんからは、このほか執筆された論文をPDFでいただいているので追って紹介していきたい。大体、原載誌も入手したところであった。ともかく劉先生、陳先生に感謝。この分野だけに限っても、日に日に新出公開資料が増えている。こうした関連研究を拝読しながらさらに研鑽を深めることにしたい。
吉田論文は「新出のソグド語資料についてー新米書記の父への手紙から:西厳寺資料の紹介を兼ねて-」、『京都大学文学部紀要』49、2010年にあたる内容となるようである。
なお、以上の他、9点が掲載されている。
※本日は他人の論文校正・修正にほとんど時間を費やした。もちろん査読とかそういう名のある方がする作業ではなくゼミなどの一環でもない。自分の研究とも関係ない。ただ誰がやったともわかりにくくても必要な作業である。その次は共同出版関係のメール書きだった。こういうブログを書いていると研究時間がありそうにみえるだろうが、ほとんどの時間は自分の時間ではない。たぶんおおかたの人がそうなのだろうけど。
天気はいよいよ、毎日のようにどんよりしているか嵐がふくかの日本海側の冬らしい様相を呈してきた。
拝受 カフカハ遺跡群の図面と出土品(土器と木彫) ― 2011/10/27 17:17

山内和也・サイドムロド=ボボムロエフ(編)『カフカハ遺跡群の図面と出土品(土器と木彫)』(中央アジア文化遺産保護報告集第9巻・日本タジキスタン文化遺産共同調査第7巻)、タジキスタン共和国科学アカデミー・東京文化財研究所、2011年6月。
国立文化財機構・東京文化財研究所からいただいた。ありがとうございました。
タジキスタン共和国北部、シャフリスタン村近辺の5-9世紀のソグド文化圏のカライ・カフカハI,II遺跡およびチリフジラ遺跡に関する図面および出土資料に関する報告。この地はタシケントとサマルカンドの間に位置し、玄奘が通過した場所でもあるとのこと。この号はほとんどが図面とスケッチである。
なお、同じ遺跡群の報告書として以下のようなものがすでに公刊されている。
『カフカハ遺跡群出土壁画』
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/12/13/5579357
タジキスタン共和国北部、シャフリスタン村のイメージをネットで探すと以下のサイトに行き当たった。カライ・カフカハ遺跡の写真もある。
http://oribito.sakura.ne.jp/cn51/tajikistan.c.html
(染織の専門家の方のホームページ)
国立文化財機構・東京文化財研究所からいただいた。ありがとうございました。
タジキスタン共和国北部、シャフリスタン村近辺の5-9世紀のソグド文化圏のカライ・カフカハI,II遺跡およびチリフジラ遺跡に関する図面および出土資料に関する報告。この地はタシケントとサマルカンドの間に位置し、玄奘が通過した場所でもあるとのこと。この号はほとんどが図面とスケッチである。
なお、同じ遺跡群の報告書として以下のようなものがすでに公刊されている。
『カフカハ遺跡群出土壁画』
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/12/13/5579357
タジキスタン共和国北部、シャフリスタン村のイメージをネットで探すと以下のサイトに行き当たった。カライ・カフカハ遺跡の写真もある。
http://oribito.sakura.ne.jp/cn51/tajikistan.c.html
(染織の専門家の方のホームページ)
拝受 敦煌出土のウイグル語暦占文書・西魏北魏の二四軍と府兵制 ― 2011/10/27 02:17
松井太、敦煌出土のウイグル語暦占文書、『人文社會論叢』(弘前大学)第26号、2011年8月。
平田陽一郎、西魏北魏の二四軍と府兵制 、『東洋史研究』第70巻2号、2011年9月。
松井先生と平田先生から抜き刷りをいただいた。ありがとうございました。
ともに大変おもしろい論文で紹介済み。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/09/20/6108494
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/10/14/6157023
これは何か、これは本当か、素朴な疑問や興味をもつことがある。そしてそれがなぜかわかったとき、ものすごく驚いたりうれしかったりするわけだが、そういう知的快感を得られる技術や技法があるならば、それはそれだけでこの世に存在する価値があるといえるだろう。そしてそれを他人に伝えるにはその考え方の過程を披露する以外の方法はない。
平田陽一郎、西魏北魏の二四軍と府兵制 、『東洋史研究』第70巻2号、2011年9月。
松井先生と平田先生から抜き刷りをいただいた。ありがとうございました。
ともに大変おもしろい論文で紹介済み。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/09/20/6108494
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/10/14/6157023
これは何か、これは本当か、素朴な疑問や興味をもつことがある。そしてそれがなぜかわかったとき、ものすごく驚いたりうれしかったりするわけだが、そういう知的快感を得られる技術や技法があるならば、それはそれだけでこの世に存在する価値があるといえるだろう。そしてそれを他人に伝えるにはその考え方の過程を披露する以外の方法はない。
拝受 大谷光瑞と国際政治社会-チベット・探検隊・辛亥革命 ― 2011/10/24 21:09

白須淨眞(編)『大谷光瑞と国際政治社会-チベット・探検隊・辛亥革命』勉誠出版、2011年10月。
柴田幹夫「辛亥革命と大谷光瑞」(上記『大谷光瑞と国際政治社会-チベット・探検隊・辛亥革命』所収)。
執筆者のお一人の柴田幹夫先生から抜き刷りとともにいただいた。ありがとうございました。執筆者は以下のとおり。
金子民雄、白須淨眞、ブリッジ・タンカ、奥山直司、高本康子、柴田幹夫、加藤斗規
今年は辛亥革命100年であるという意味でタイムリーである。帯には「新資料「外務省外交記録」を駆使し、まったく新しい大谷光瑞像が立ち上がる」とある。また大谷光瑞と取り巻く人々の活動を見ていくとチベット問題を避けて通れないことが注目されているようである。(これから読みます)
目次や詳しい紹介はこちら(勉誠出版)。
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100043
また、昨年にも柴田幹夫(編)『大谷光瑞とアジア』なる本が刊行されている。 http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278477
さてここ数日、締め切りつきの書類、原稿におわれていてブログを書く暇もなかった。(すいません。某所で、「できれば」10月中にと依頼された原稿はできてません。)ただこんな中でも抜き刷りをいただいたり、書籍を(大量に)購入しているのでおって書き込んでいくことにしたい。
柴田幹夫「辛亥革命と大谷光瑞」(上記『大谷光瑞と国際政治社会-チベット・探検隊・辛亥革命』所収)。
執筆者のお一人の柴田幹夫先生から抜き刷りとともにいただいた。ありがとうございました。執筆者は以下のとおり。
金子民雄、白須淨眞、ブリッジ・タンカ、奥山直司、高本康子、柴田幹夫、加藤斗規
今年は辛亥革命100年であるという意味でタイムリーである。帯には「新資料「外務省外交記録」を駆使し、まったく新しい大谷光瑞像が立ち上がる」とある。また大谷光瑞と取り巻く人々の活動を見ていくとチベット問題を避けて通れないことが注目されているようである。(これから読みます)
目次や詳しい紹介はこちら(勉誠出版)。
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100043
また、昨年にも柴田幹夫(編)『大谷光瑞とアジア』なる本が刊行されている。 http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/08/10/5278477
さてここ数日、締め切りつきの書類、原稿におわれていてブログを書く暇もなかった。(すいません。某所で、「できれば」10月中にと依頼された原稿はできてません。)ただこんな中でも抜き刷りをいただいたり、書籍を(大量に)購入しているのでおって書き込んでいくことにしたい。
新収 唐代史研究 第14号 ― 2011/09/20 20:45
唐代史研究会(編)『唐代史研究』第14号、2011年8月。
巻頭言(佐藤智水)
○“敦煌の社会と文化”2010年度夏期シンポジウム特集
山口正晃、敦煌学百年
岩本篤志、敦煌秘笈「雑字一本」考-「雑字」からみた帰義軍期の社会-
伊藤美重子、敦煌の学郎題記にみる学校と学生
荒川正晴、唐の西北軍事支配と敦煌社会
○書評・新刊紹介
津田資久、渡邊義浩著『西晋「儒教国家」と貴族制』
森部豊、荒川正晴著『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』
村井恭子、森部 豊著 『ソグド人の束方活動と東ユーラシア世界の歴史的展開』
○国外学会参加報告.
佐川英治、中古時代的礼儀、 宗教与制度学術研討会
關尾史郎、「高台魏晋墓与河西歴史文化国際学術研討会」 参加記
○2010年唐代史研究会会員成果目録
○会員近況報告
○彙報
以上、全目次。
---------------------------
以下、拙稿「敦煌秘笈「雑字一本」考」の反省点。
敦煌秘笈のうち、内容、年代不明の一点を歴史空間の中に位置づけ、それを史料として敦煌社会を論じようとしたもの(一次利用面:894-905年頃の敦煌の官吏用識字手本またはその書写、二次利用面:965年9,10月分と978年2月から数ヶ月分の具注暦日の下書きと比定)。単純な内容のはずなのに、構成も文章もいまひとつなめらかでない。少々熟成不足の感はある。またP.30にあげた「衙前子弟」については、荒川正晴著『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』のなかに有益な指摘がある(旧稿は未確認)のだが、最近まで気づかなかった。総じて語彙分析には不十分な点を多々残したので、今後も検討を続けていくことにしたい。
書き落としてしまったが、拙稿は科研費・若手研究(B) 「唐五代期における実用典籍の読者層の研究ー中国西北出土古文献を中心に」(研究課題番号:21720257)の成果の一部である。
巻頭言(佐藤智水)
○“敦煌の社会と文化”2010年度夏期シンポジウム特集
山口正晃、敦煌学百年
岩本篤志、敦煌秘笈「雑字一本」考-「雑字」からみた帰義軍期の社会-
伊藤美重子、敦煌の学郎題記にみる学校と学生
荒川正晴、唐の西北軍事支配と敦煌社会
○書評・新刊紹介
津田資久、渡邊義浩著『西晋「儒教国家」と貴族制』
森部豊、荒川正晴著『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』
村井恭子、森部 豊著 『ソグド人の束方活動と東ユーラシア世界の歴史的展開』
○国外学会参加報告.
佐川英治、中古時代的礼儀、 宗教与制度学術研討会
關尾史郎、「高台魏晋墓与河西歴史文化国際学術研討会」 参加記
○2010年唐代史研究会会員成果目録
○会員近況報告
○彙報
以上、全目次。
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以下、拙稿「敦煌秘笈「雑字一本」考」の反省点。
敦煌秘笈のうち、内容、年代不明の一点を歴史空間の中に位置づけ、それを史料として敦煌社会を論じようとしたもの(一次利用面:894-905年頃の敦煌の官吏用識字手本またはその書写、二次利用面:965年9,10月分と978年2月から数ヶ月分の具注暦日の下書きと比定)。単純な内容のはずなのに、構成も文章もいまひとつなめらかでない。少々熟成不足の感はある。またP.30にあげた「衙前子弟」については、荒川正晴著『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』のなかに有益な指摘がある(旧稿は未確認)のだが、最近まで気づかなかった。総じて語彙分析には不十分な点を多々残したので、今後も検討を続けていくことにしたい。
書き落としてしまったが、拙稿は科研費・若手研究(B) 「唐五代期における実用典籍の読者層の研究ー中国西北出土古文献を中心に」(研究課題番号:21720257)の成果の一部である。
拝受 古ウイグル語文献にみえる「寧戎」とベゼクリク ― 2011/09/20 20:13
松井太、古ウイグル語文献にみえる「寧戎」とベゼクリク、『内陸アジア言語の研究』第26号、2011年。
松井太、敦煌出土のウイグル語暦占文書、『人文社會論叢』(弘前大学)第26号、2011年8月。
海外調査中の松井先生から、関連分野の研究者宛の添付ファイルとしていただく。ありがとうございました。
前者は現在、ベゼクリクと呼ばれる地が古ウイグル語文献においてベゼクリクに近い音で呼ばれていた明証がなく、漢語の「寧戎」の音写転記とみられる表記がもちいられていたことを論じ、それを手がかりにそれら表記が用いられているウイグル語文書の歴史地理学的な考察をおこなったもの。後者はモンゴル期の暦占文書断片群(背面、西夏語経典)の内容を,とくに明清以降に中国で流行することになった通書『玉匣記』に比定したもの。
松井太、敦煌出土のウイグル語暦占文書、『人文社會論叢』(弘前大学)第26号、2011年8月。
海外調査中の松井先生から、関連分野の研究者宛の添付ファイルとしていただく。ありがとうございました。
前者は現在、ベゼクリクと呼ばれる地が古ウイグル語文献においてベゼクリクに近い音で呼ばれていた明証がなく、漢語の「寧戎」の音写転記とみられる表記がもちいられていたことを論じ、それを手がかりにそれら表記が用いられているウイグル語文書の歴史地理学的な考察をおこなったもの。後者はモンゴル期の暦占文書断片群(背面、西夏語経典)の内容を,とくに明清以降に中国で流行することになった通書『玉匣記』に比定したもの。
拝受 突厥「阿史那感徳墓誌」訳注考 ほか ― 2011/09/15 19:14
斉藤茂雄、突厥「阿史那感徳墓誌」訳注考-唐覊縻支配下における突厥集団の性格、『内陸アジア言語の研究』第26号、2011年。
鈴木宏節、唐代漠南における突厥可汗国の復興と展開 、『史学雑誌』第120編第6号、2011年6月。
前者。斉藤さんからいただいた。ありがとうございました。
突厥第一可汗国最後の可汗の曾孫の阿史那感徳墓誌を題材に、阿史那感徳の姻戚関係と唐から帰義可汗の号をうけていることに焦点をあて従来の漢籍史料では不明であった第二可汗国復興期の突厥移民の存在形態を論じたもの。
後者。鈴木さんから(佐藤先生を経由して)いただいた。ありがとうございました。概要は前掲。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/07/21/5966102
調査やら原稿の準備やら、日本の残暑やらで書き込む時間と気力が無かったが、購入したもの、いただきものは増えるばかりなので、整理再開。
鈴木宏節、唐代漠南における突厥可汗国の復興と展開 、『史学雑誌』第120編第6号、2011年6月。
前者。斉藤さんからいただいた。ありがとうございました。
突厥第一可汗国最後の可汗の曾孫の阿史那感徳墓誌を題材に、阿史那感徳の姻戚関係と唐から帰義可汗の号をうけていることに焦点をあて従来の漢籍史料では不明であった第二可汗国復興期の突厥移民の存在形態を論じたもの。
後者。鈴木さんから(佐藤先生を経由して)いただいた。ありがとうございました。概要は前掲。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/07/21/5966102
調査やら原稿の準備やら、日本の残暑やらで書き込む時間と気力が無かったが、購入したもの、いただきものは増えるばかりなので、整理再開。
新収 趙和平敦煌書儀研究 ほか ― 2011/08/02 18:59
趙和平(著)『趙和平敦煌書儀研究』上海古籍出版社、2011年3月。
李樹輝(著)『烏古斯和回鶻研究』民族出版社、2010年12月。
聶志軍(著)『唐代景教文献詞語研究』、湖南人民出版社、2010年9月。
『趙和平敦煌書儀研究』は当代敦煌学者自選集の一冊で著名な研究者の研究の来歴やその全体像を見渡すのに適した内容。敦煌文献のうち相当な量がある書儀研究の意義を総括した章のほか、社会生活や口語、政権との関係など多方面からみた各論が収録される。敦煌文献研究はこれまで日本などの東アジアの写本との比較をとおしてすすめられてきた側面をもつが、本書には正倉院文書(杜家立成雑書要略)との比較がふくまれる。
烏古斯はテュルク系民族で24氏族によって成り立っていたとされる「オグズ」のこと。北方諸民族との関係への言及もあるがとくに突厥とウイグルとの関係などについて研究がなされている。突厥文索引が付く。
景教文献詞語研究は著者の中山大学の博士論文をもとにしているという。敦煌漢文文献P.3847(景教三威蒙度贊・尊経)、一神論、志玄安楽経、大秦景教宣元本経、序聴迷詩所経、大秦景教流行中国碑などに用いられている語彙を他の宗教文献などと対比しながら分析したもの。中古音とシリア語との対比をしているところも若干みられる。中国の先行研究を中心に丁寧に紹介がなされている。洛陽の石幢への言及はあるが、一神論、志玄安楽経、大秦景教宣元本経、序聴迷詩所経が包含された敦煌秘笈への言及はない。すでに中国でも何本も敦煌秘笈に関連する論文が出ているがまだその認知度は低いようである
欧文文献の引用が少なく前掲の高橋英海論文への言及もないが、近接した分析といえる。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/08/29/5313066
李樹輝(著)『烏古斯和回鶻研究』民族出版社、2010年12月。
聶志軍(著)『唐代景教文献詞語研究』、湖南人民出版社、2010年9月。
『趙和平敦煌書儀研究』は当代敦煌学者自選集の一冊で著名な研究者の研究の来歴やその全体像を見渡すのに適した内容。敦煌文献のうち相当な量がある書儀研究の意義を総括した章のほか、社会生活や口語、政権との関係など多方面からみた各論が収録される。敦煌文献研究はこれまで日本などの東アジアの写本との比較をとおしてすすめられてきた側面をもつが、本書には正倉院文書(杜家立成雑書要略)との比較がふくまれる。
烏古斯はテュルク系民族で24氏族によって成り立っていたとされる「オグズ」のこと。北方諸民族との関係への言及もあるがとくに突厥とウイグルとの関係などについて研究がなされている。突厥文索引が付く。
景教文献詞語研究は著者の中山大学の博士論文をもとにしているという。敦煌漢文文献P.3847(景教三威蒙度贊・尊経)、一神論、志玄安楽経、大秦景教宣元本経、序聴迷詩所経、大秦景教流行中国碑などに用いられている語彙を他の宗教文献などと対比しながら分析したもの。中古音とシリア語との対比をしているところも若干みられる。中国の先行研究を中心に丁寧に紹介がなされている。洛陽の石幢への言及はあるが、一神論、志玄安楽経、大秦景教宣元本経、序聴迷詩所経が包含された敦煌秘笈への言及はない。すでに中国でも何本も敦煌秘笈に関連する論文が出ているがまだその認知度は低いようである
欧文文献の引用が少なく前掲の高橋英海論文への言及もないが、近接した分析といえる。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/08/29/5313066
新収 新潟史学 第65号 ― 2011/07/29 17:24
『新潟史学』第65号、2011年5月。
斎藤瑞穂、佐渡・岩屋山洞窟の宝筐印塔と中世の北東日本海物流
高橋秀樹、胡人像尖帽の起源―丁家閘五号墓壁画胡人像解析のために
桑原正史、柴原偕伎日の表記とヨミについて―栗原遺跡出土の墨書土器の人名
他、資料紹介1点、書評1点が載る。
斎藤論文は佐渡・宿根木近くの岩屋山洞窟で発見された14~15世紀の宝筐印塔が関西形式のものであったことに注目し、他地域のものと比較、その造立の背景をさぐる。高橋論文はモード研究的な観点からユーラシア大陸全域を視野に丁家閘五号墓壁画胡人像の尖帽の起源をさぐろうとした労作。関連分野に多くの示唆を与えるであろう。ただいずれの出土品も時代背景を絞り込んだ上で論じられているとは言いがたく、また本論を成り立たせるマトリックスの基本軸である「頭部を高くしようとする欲求」というパラメータが地域習俗や宗教的固有性を捨象してしまっているような気がしてならない。今後、関連するロシアや西アジア考古学の成果や報告を渉猟し、個々の事象分析の上に検証していく必要があるだろう。桑原論文は新潟県妙高市で出土した8世紀の須恵器に墨書された人名「柴原偕伎日」に関するもの。従来、「シバハラノハシキビ」または「しばはらのときひ」と読まれていたものをその墨跡や古訓の分析から「しばはらのみなきび」とよむべきだとする。
高橋論文と関連するところでは、関尾史郎先生がご自身のブログで高台で発見された尖帽をかぶったソグド人図像について詳細な分析を披露しておられ、その想像力に感嘆する。http://sekio516.exblog.jp/15166541/ もちろんすでに中国の研究者もソグド人像とみているし、影山論文で論じておられることがその傍証ともなろう。http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/02/28/5711852 ただそこまではすでに実証されており、再論をまたない。まずは埋め戻されてしまったという墓葬の精査と今後の他地域の発掘の進展を待ちたい。この分野においても斎藤論文や桑原論文のようにひとつひとつを確実な資料をもって実証を積み上げていく手続きが不可欠であろう。
斎藤瑞穂、佐渡・岩屋山洞窟の宝筐印塔と中世の北東日本海物流
高橋秀樹、胡人像尖帽の起源―丁家閘五号墓壁画胡人像解析のために
桑原正史、柴原偕伎日の表記とヨミについて―栗原遺跡出土の墨書土器の人名
他、資料紹介1点、書評1点が載る。
斎藤論文は佐渡・宿根木近くの岩屋山洞窟で発見された14~15世紀の宝筐印塔が関西形式のものであったことに注目し、他地域のものと比較、その造立の背景をさぐる。高橋論文はモード研究的な観点からユーラシア大陸全域を視野に丁家閘五号墓壁画胡人像の尖帽の起源をさぐろうとした労作。関連分野に多くの示唆を与えるであろう。ただいずれの出土品も時代背景を絞り込んだ上で論じられているとは言いがたく、また本論を成り立たせるマトリックスの基本軸である「頭部を高くしようとする欲求」というパラメータが地域習俗や宗教的固有性を捨象してしまっているような気がしてならない。今後、関連するロシアや西アジア考古学の成果や報告を渉猟し、個々の事象分析の上に検証していく必要があるだろう。桑原論文は新潟県妙高市で出土した8世紀の須恵器に墨書された人名「柴原偕伎日」に関するもの。従来、「シバハラノハシキビ」または「しばはらのときひ」と読まれていたものをその墨跡や古訓の分析から「しばはらのみなきび」とよむべきだとする。
高橋論文と関連するところでは、関尾史郎先生がご自身のブログで高台で発見された尖帽をかぶったソグド人図像について詳細な分析を披露しておられ、その想像力に感嘆する。http://sekio516.exblog.jp/15166541/ もちろんすでに中国の研究者もソグド人像とみているし、影山論文で論じておられることがその傍証ともなろう。http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/02/28/5711852 ただそこまではすでに実証されており、再論をまたない。まずは埋め戻されてしまったという墓葬の精査と今後の他地域の発掘の進展を待ちたい。この分野においても斎藤論文や桑原論文のようにひとつひとつを確実な資料をもって実証を積み上げていく手続きが不可欠であろう。