新収 新しい世界史へ ほか2012/02/13 02:48

羽田正(著)『新しい世界史へ-地球市民のための構想』(岩波新書)、岩波書店、2011年11月。
杉山正明(著)『遊牧民から見た世界史 増補版』(日経ビジネス文庫)、日本経済新聞出版社、2011年7月。

林俊雄(著)『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(興亡の世界史02)、講談社、2007年6月
礪波護(著)『唐宋変革と官僚制』(中公文庫)、中央公論社、2011年12月。
飯島渉(著)『感染症の中国史 公衆衛生と東アジア』(中公新書)、中央公論社、2009年12月。

 いつか精読しようとおもって山積みになっていたものをリスト化しておく。
前二者は世界史を考える、東洋史を考えるうえで有効。杉山本は増補版ということであらためて購入。後三者はそれらと比すれば各論ではあるが、それぞれの分野の最新の成果がわかりやすくまとめられている。礪波先生の著書は以前、同文庫にはいった『唐の行政機構と官僚』と接続する内容でわかりやすく読めるように新稿がくわえられているが、本体は学術論文レベルの内容(卒論!も含まれる)。裏表紙に前著『唐の行政機構と官僚』への言及があるが、広告面にそれがないのは版切れになったのであろうか。

 ある中国人留学生が母国には文庫本というものがない、これいいですね、といってたが、彼がそういうのは価格もあろう。一方、自分は電車に乗らないとなかなか文庫本が精読できず、飛ばし読みをしがちである。どうやら電車によく乗る生活にあった形態なのだとおもう。
 明清期の考証モノや『唐鑑』や『郡斎読書志』の影印などまでそろった学術的すぎる台湾の人人文庫(新書サイズ)というのもあったが、その場合は省スペースで廉価、ということなのだろう。

拝受 『穆天子伝』訳注稿(一)2012/01/20 18:00

桐本東太(監訳)、『穆天子伝』訳注稿(一)、『史学』第80巻第4号、2011年12月。

古代中国研究会(表書きでは中国古代研究会となっているが)からいただいた。ありがとうございました。訳注者のお名前を見ると、主に若手の東洋史研究者たちによる研究会らしい。「伝世の出土文献」の研究をとおして、近年の出土文献とを対話させようという試み。しかも所謂、史学研究が扱う題材とはずれた資料。面白そうである。

拝受 「塩」(物を通してみる世界史)2012/01/20 17:29


佐藤貴保「塩」(物を通してみる世界史)『世界史のしおり』第52号、2011年10月。

佐藤先生からいただいた。ありがとうございました。

拝受 歴史の争奪-中韓高句麗歴史論争を例に2011/09/16 20:13

古畑徹、歴史の争奪-中韓高句麗歴史論争を例に、『メトロポリタン史学』第6号、2010年12月。

古畑先生からいただいた。ありがとうございました。
 現在の国民国家をまたぐ形で存在していた過去の国家や種族を、現在の国民国家同士が「争奪」するという「歴史の争奪」現象をのりこえた歴史叙述の可能性を模索したもの。
 とくに「渤海帰属問題」などともに現代中国と韓国の研究者によって激しい論争が展開された高句麗歴史論争が本稿の中心題材。それぞれの国家プロジェクトと個々の歴史家がもつ歴史叙述への思惑と問題点が精緻に分析され、その解決の方向性がしめされる。

新収 ハウス・オブ・ヤマナカ2011/07/14 17:55

朽木 ゆり子(著)『ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商』、新潮社、2011年3月。

序章
第一部 古美術商、大阪から世界へ
第二部 「世界の山中」の繁栄
第三部 山中商会の「解体」
終章

 国内外の美術館や博物館の展示品には寄贈されたり、発掘された国で保管してきたモノもあるが、20世紀初めの「探検隊」や植民地統治下期に持ち去られた文化財に由来するものもあるし、古美術商を経由して購入されたものもあり、その由来は様々である。

 山中商会とは東洋美術系の展示をよく見る人にはどこかで聞いたか見たことのあるはずの名前で、戦前まで世界に支店網をもった古美術業者であったが、資産のほとんどが国外にあって戦後は解体消滅してしまったため、その詳細はこれまで知られていなかったという。

 それまで主流だった対面販売でなく、会場で品物を展示してから販売する新しい手法で客を集め、某財閥のコレクション形成に一役かい、パリ万博(1867)以降の日本ブームに乗って海外進出、清朝崩壊後に中国美術にも手を広げ、経営を拡大したとされる

 北斉~隋唐期に造営された天竜山石窟など(第9章)でのくだりなどは当時の感覚はそれとしても、文化破壊そのものである。終章ではその一部が海外のオークションにかけられることになった2008年に、山西省の人が評価額の4倍で落札した様子の描写でしめくくられている。良質なノンフィクション。

関連論文(本書の著者から資料提供をうけ執筆されている)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2008/ym01.pdf

amazon
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103289511/

称猫庵氏による紹介
http://syoubyouan.blogspot.com/2011/04/blog-post_09.html

拝受 「イスラーム主義」「世俗主義」の枠組みを超えて2011/07/08 20:09

勝畑冬実、「イスラーム主義」「世俗主義」の枠組みを超えて--1980年代以降のハーリド・ムハンマド・ハーリドの思想的位置取りから、『イスラム世界』第75号、 2010年8月。

勝畑さんからいただいた。ありがとうございました。
 第3次中東戦争の敗北後にあたる1970年代以降、現代イスラーム思想を理解する有効な概念であり、対立的に扱われることの多い「イスラーム主義」と「世俗主義」について、20世紀の代表的な著述家ハーリド・ムハンマド・ハーリドをとりまく環境と思想を読み解くことで論じたもの。
 結論ではその希求するものに「イスラーム主義」とも「世俗主義」とも異なる「第三の道」があったことを示唆する。

もちろん「畿上塞囲」の勝畑さんである。

拝受 19世紀学研究 第5号 ほか2011/07/07 17:48

『19世紀学研究』 第5号、2011年3月。
 池田嘉郎「(書評)遅塚忠躬『史学概論』」

『資料学研究』第8号,2011年3月
 原 直史、地主史料からみた近世蒲原平野の米穀流通
 矢田俊文・卜部厚志、1751年越後高田地震による被害分布と震源域の再検討
 岩本篤志、鶴岡藩・新発田藩蔵書目録小考
 山内民博、朝鮮新式戸籍関連資料の基礎的研究(1)―忠清南道泰安郡新式戸籍関連資料―
 高橋秀樹、アガメムノンの夢―『イリアス』第2書に見る政治文化―

 個人的にいただいたもの等を優先的に紹介していたら紹介が異常に遅れた二冊。『19世紀学研究』は特集が2つ組まれ、多数の論文が掲載されるが、書評だけをチョイス。『史学概論』、これまで刊行されてきた歴史学概論のなかでとくによみやすく現代的な歴史学論。
 矢田・卜部「1751年越後高田地震による」は地図も付されており、たちどころに抜き刷りが捌ける可能性のある内容。

拝受 敦煌変文写本的研究2011/07/06 17:42

荒見泰史(著)『敦煌変文写本的研究』(華林博士文庫)中華書局、2010年11月。

荒見先生からいただいた。ありがとうございました。いただいてからずいぶん時間が過ぎてしまった。2001年復旦大学に提出・受理された博士論文をもとにしたもの。繁体字。目次は以下の通り。

序論部 敦煌文献和変文研究回顧
本論部 敦煌変文及其体裁
 第一章 変文
 第二章 敦煌的故事略要本与変文
 第三章 敦煌的講唱体文献
各論部 仏教儀式与変文的関係
 第一章 九、十世紀的通俗講経和敦煌
 第二章 敦煌本“荘厳文”初探
 第三章 押座文及其在唐代講経軌範上的位置
附録 P.3849v 仏説諸経雑縁輸喩因由記

中華書局の紹介頁
http://www.zhbc.com.cn/book_view.asp?bid=8341

 敦煌文献には俗講などでもちいられた可能性のある変文とよばれる講唱文学(語り物)作品が数多くふくまれており、1960年代以降は周紹良、張鴻勳、金岡照光などの研究者により、それに関する研究が展開された(以上は序論部で詳説される)。
 本書ではそうした研究を批判継承しつつ、そもそも「変文」とは何であるのか、資料の分類整理方法を確立しながら論を展開している。
 各写本の内容だけでなく僧侶の仕事と写本の関係や写本の表裏を確認しながら書写年代を推定しており、共感するところや学ぶところが多い。
 
参考:同(著)敦煌講唱文学写本研究
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/07/07/5203883

拝受 敦煌莫高窟における初唐から盛唐への過渡期の一様相2011/06/27 17:25

菊池淑子、敦煌莫高窟における初唐から盛唐への過渡期の一様相、『成城大学文芸学部紀要・成城文芸』第174号、2001年3月
菊池淑子、石窟寺院の洞窟を芸術作品として解釈する試み-敦煌莫高窟第217窟の享受の歴史、『高梨学術奨励基金年報(平成20年度研究成果報告概要)』、2009年。

菊池さんからいただいた。ありがとうございました。前者は文様の時代区分が必ずしも断代的に整理できるわけでなく過渡期の様相が存在すること、後者は第217窟の調査によって供養具の様式を確認、また、これまで言及されていないウイグル語の銘文などの発見から、従来説どおり、この窟が13-14世紀に巡礼の対象となっていたことなどを再確認する。

新収 史学雑誌 第120編第5号2011/06/21 20:46

『史学雑誌』第120編第5号、2010年の歴史学界、2011年6月。

 毎年6月に刊行される回顧と展望が既に到着している。
 先のエントリは3月末くらいに書くつもりのことだったので、その間2か月にいただいた論文を後回しにするのはもうしわけないが、極力早く時計の針を修正するということで先に記録しておく。

 回顧と・・・の評者は若手研究者にはわりにあわない大変な仕事である。どうも2,3箇所の分野を見るとあまりご自身では情報を集めなかったのか情報収集不足の観があったりして脱力感のある分野とそうでない分野が交錯している。ところによっては評者の論文の書き方や出身ゼミの学風、価値観が評文に(良い意味でも悪い意味でも)でていたりと興味深い。

(アクセスが増えた。一般的に書くには粗すぎる内容もあったので、要点を絞った)
 
 なお、個別の話にはなるが、贋物であるという疑いさえあった五胡関係の内容を持つ敦煌文献の真贋、年代、出土資料の性格を論じた拙稿を五胡時代の「単なる史料批判、新出資料の紹介といった方法論」と位置づけ、全く異なるレベルで編集されている佚文集とあわせて、将来的に「五胡時代の国家に関する包括的理論」をもとめたい、とする評文には驚いた。佚文集の趣旨とも拙稿の論点とも関係がない。

 そもそも敦煌文献(典籍)に書かれていた内容を史料として扱うということと敦煌文献としての資料的性格を論じることはわけて考えなくてはならない(敦煌「文書」の場合は一体で考えることが多い)。該当資料は史料としての価値は決して高いとはいえず、拙稿ではその内容をふまえつつ敦煌文献としての資料的性格を論じたのである。目的はそこにあって「五胡」にない。また年代不詳の典籍断片の年代、書名を確定していく作業は「史料批判」ではないであろう。

 佚文集はどちらかというと自分は史学史的興味と史料参照に便利であることから、参画し編集したもので、それを用いてさえ五胡史を描くのには多くの難題がある。出土文献も稀少であって中国史でもっとも扱いづらい領域のひとつ(だから論文も少ない)だと思っている。
 また佚文集や拙稿(前稿がある)をあとで発表された佚文集関係者の研究の補足と理解されているようだが、研究史としては扱いがまったく逆である。

 ただ、包括的理論や「王朝の制度思想全体を論じる視点」を至上の目的とする「評者が属する世界」があるのだろう。外にいる私にもその現代的意義をまずお教え願いたい。

 私は現在の魏晋南北朝史においては、まず、編纂史料以外の資料を史料としてもちいていく分析手法の開拓がもとめられていると思っているし、その点は数年前の拙稿に示したとおりである。
 編纂史料から抽出された史実や世界観を天下国家としてまとめるのではなく、その外にある資料を論じることで編纂史料の編纂者の意図やその限界がうきぼりにしていかなくてはならないのではないか。そしてそれだけの資料がでてきている。
 そのように他時代と同様の水準まで編纂史書偏重の状況が脱却できたならば、その先の大きなテーマの一つとして国家論もあってよいとは思う。
 
 ただこうした評がでてくる背景には、これまでの出土資料や史料整理による魏晋南北朝期の研究が一定の世界像をえがきだしてこなかったことへの不信があるのだろうとうけとめた。