Paul Pelliot's Namecard2011/06/18 11:50

某所で撮影したペリオ(1878-1945)の名刺。肩書きはコレージュ・ド・フランス教授、学士院会員。(当該の肩書きはちょうど100年前の1911年以降のもの。住所はぼかしてみた)。左部分の黒ずみは糊によるもので、ある記録簿に貼り込まれている。記録簿はめくっていくと白堅なる人物の署名があるなど、敦煌文献にゆかりのふかい資料といえる。いずれ紹介する機会があるだろう。
 なお写真掲載は資料所蔵者の許可済み。ご遺族の許可は得ていないが、歿してから60年以上すぎているので問題はないと思うのですが。

追記:更新が異常に遅れている。このブログの情報はまだ3月あたりの情報。少し回転を速くしたいのだが、締め切りが次々にくるため、ブログなんて書いている場合があったら、ということになりそうで更新もままならない。今月末にも締め切りが。

落胆と慚愧2011/04/12 19:31

 痛ましい震災と津波から1ヶ月が過ぎた。この間、私が住んでいる土地もよく揺れていたから、作業や校正をしながら、テレビをちらっと見ることはいつもより多かった。

 ただともかく原発の事故後の過程には、おおいに落胆させられた。私は今に大地震が来ると言われ、しかも近くに原発があった土地に生まれた。また戦後には某事件で被爆した方が出た街でもあったから、こういう事故がありうること、しかもしばらく肝心な情報はでてこないかもしれないという悪夢の怖さは聞かされていたから、それが目の前の現実になったことに肝を冷やした。
 数ヶ月前に現場できわめて重大な欠陥がある可能性を看過していたことが指摘されているが、初動ミスがくわわり、あとは時間が過ぎて、そのあとはいきあたりばったりの処置、ついで不的確な情報の流布と恐しいニュースは続いた。
 その間、テレビに出ていたそれなりの立場の研究者達の解説はしばしば身内の弁護をしているように聞こえた。また、研究者は証明されていることしか言わない。わからないことはいわない。ともかく「専門的には」安全な仕組みである。または日常のこれこれと比較するとたいしたことはないのである。どうもそうしたいいまわしで危険性をはなから排除しているように感じた。専門家が「専門」を振りかざすとき、それはたいてい他者との会話が面倒か拒絶したいときである。また過度な危険性を感じている者に比喩で安心させるのはひとつの方法だが、全然危険性を知らない者に、はなから安心させるようなことばかりいうのは、だましていることになる。
 結局、今日の情報で最初から放射性物質は当初の報告とは比較にならないほど大量に漏れていたことがあきらかになった。安心に決まっていると最初から決めてかかって安心なわけはないが、この数週間の情報はその種の安全神話に依拠した情報とそれにもとづく分析だったことになる。
 これがこの国の科学の姿なのか。少なくともその一部には違いない。本当に落胆した。ともかく、これ以上危険なものがひろがらないことを祈りたい。
 そしてこの事故が世界を揺るがす一大事になることを当初からわりと的確に推論し説明していたのは研究者の世界では立場の弱い人であったり、フリーの人だったりした。
 悲しく、不愉快な一ヶ月だった。今日こそ再開しようと思います。

追記:文部科学省のサイトに情報が集約されていてとてもいい。http://www.mext.go.jp/
また文科省や保安院、各県公表のデータをグラフ化している個人サイトもかなりいい。http://atmc.jp/
情報が公表されていれば恐れることはないのである。

さらに追記(4/30):なんだか、まだまだ恐怖は続くらしい。誰がどのように判断したか根拠不明な基準より、具体的な根拠が示された意見のほうが信用できるのは当然であろう。どうしてこういう物事の決定プロセスになってしまうんだろうか。悲惨である。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html#more

安否伺いありがとうございました2011/03/15 20:14

さまざまなところから安否伺いをいただきました。ありがとうございました。
 先日の大震災の翌日、新潟県内でも大きな地震がありましたが、私が居住している地域では被害は聞いておりません。
 むしろ、大震災の時やその余震のほうがかなり長く揺れた印象です。
 震源にきわめて近い地域に住む知人・友人のことが心配でしたが、現在のところ、おおかた無事であると聞いて少しホッとしています。
 まだ心配なことがたくさん残っておりますが、被災された方々がふたたび落ち着いて生活できるよう願っています。

「マニ教「宇宙図」」の余波2010/10/22 23:27

 要するに朝日新聞の記者が共同通信の「マニ教「宇宙図」」に関する学芸記事を「剽窃」して、自社用の記事を書いてしまったという事件のようである。

朝日、記事が共同通信に酷似し謝罪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101022-OYT1T00977.htm?from=main5 (読売新聞)

マニ教「宇宙図」確認 国内現存、謎解きに期待
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201010190109.html(朝日新聞、謝罪の追記入り)

 ただ、そもそも取材源は同じなので内容が近いのは当然で、そのこと自体には問題はない。Webの朝日の謝罪記事の説明だとなにがまずいのか、わかりにくい印象をうける。おそらくかなり多くの箇所の「表現」が酷似していて、文章が「剽窃」されているという印象をあたえたものとおもわれるが、私は問題の朝日新聞(19日付朝刊文化面)が手近にないのでよくわからない。Web版は簡略化されている様子で、当該の記事ではないようだ。
 この記事は共同通信配信でなく独自に取材して書いたことになっているので問題になったわけだが、大新聞や地方紙に共同通信の記事が提供されていることは結構ある気がする。
 この調子では今後、情報源が淘汰されていくのは避けられない。
 是非、新聞社は記者として歴史の文献読解(別に近現代に限らない)の専門教育をうけた学生を積極的に採用いただきたいと思うのだが。

関係する論文はこちら。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/07/01/5195452

新収 道教儀礼の歴史的研究 ほか2010/08/06 22:33

丸山宏(著)『道教儀礼の歴史的研究』、汲古書院、2004年
松本浩一(著)『宋代の道教と民間信仰』、汲古書院、2006年
『道教美術の可能性』(アジア遊学)勉誠出版、2010年
小林春樹・山下克明(編)『「若杉家文書」中国天文・五行占資料の研究』、汲古書院、2007年。

 道教の儀礼など、あれこれ関心があることがあって購入。ただの関心を充足させるだけなら図書館にはしればいい、というところに住んでいる人はそれでよいが、私の場合、それができないので、調べかつ覚えておくには身銭をきるのが一番確かな手段になってしまっている。どうしても入手できないときだけ図書館の相互貸借を利用する。ただ複写したことを記憶しておけるのはそのテーマで論文を書いている時に限られるから、より確実に記憶するには、空間を占める書籍の形で存在してくれるのが一番よい。
 最後の一点は日本の資料に関する内容。この前、啓蒙書を読んだこともあって購入。
http://iwamoto.asablo.jp/blog/2010/07/08/5206489

 買わないはずのiPadを遅ればせながらしばらく使うことになった。革新的な機械だとおもった。
 ただ、カーソルキーがないのにはいらついたし、ショートカットキー慣れしている自分には入力編集は苦痛だった。すでにかなりの数のファイルを階層化して管理しているので、アプリ毎にファイルを管理する仕組みに変えるのも手間がおおすぎる。ビュワーとしてはすばらしいが、ノートパソコンとあわせて持ち運ぶと結構な重さになるので、もう少し入力面をカバーして欲しいところである。そのうち改善されるのだろう。
 とりあえず、記念に、IDPのサイトがどのようにみえるかくらいは、確認しておくことにした。ぴったりとはいかないが、容易に拡大ができるのでネットが使える環境やイメージを扱う際には、かなりおもしろく使える感触。

一律1割削減要求2010/07/17 03:22

比率としてはこれまでの5倍以上のペースの削減という案になるようだ。前途は暗い。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/100708/edc1007080105000-n1.htm
http://mainichi.jp/select/today/news/20100713k0000m020137000c.html

目がかすむ2010/05/02 03:32

 いただいた本や雑誌、抜き刷りを紹介しようと思うのだが、他のブログでもでているから、少し時間をずらそうかと思ってます、といいわけしておきます。
 月が2つにみえるのはついているからではない。乱視がひどくなっているのだろう。

敦煌の典籍と古文書2010/04/27 00:12

『第54回 杏雨書屋特別展示会「敦煌の典籍と古文書」』。武田科学振興財団、2010年。
 杏雨書屋「敦煌秘笈」の展示会図録。

 さて、先日展示会が開かれた杏雨書屋の「敦煌の典籍と古文書」については是非とも記録にとどめておかねばとおもっていたのだが、同時期に重厚な著書をいくつかいただいてしまい、しかもこれらがなかなかおもしろいので、あまり時間がとれずにいた。
 また講演会当日は午前は展示をみて、昼抜きのまま講演を聴講、その後も実に勉強することが多い一日で、低血糖からか頭痛がして、しばらくフラフラだったこともある。

 これほど新資料満載の展示会はそうそうないだろうし、資料のセレクトも目が利いている。解説は簡にして要を得ている感じで、拙稿を何点も引用いただいて光栄かつ励みになった。ただ他資料については拙稿以外であげてほしい論文もあるので、どこかで紹介しようと思っている。ちなみに後で羽田先生の論文集を見た限りでは景教経典の所蔵先を取り違えているようである。

天漢日乗さんの観察がおもしろい。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2010/04/419424424-12301.html

 知人の敦煌学研究者もチベット文字をよんでリサンサンかなといっていた気がします。
 低迷する業界のためにちょっと煽っておきます。展示されていたものの一部には解説に書いてなくても先行研究がある場合があります。別途、古写真が公開されていたからです。
 ただ画指については仁井田先生等の業績がありますが、リサンサンに関する文書については外に出たのが初めてのはず。古写真も先行研究もありません。贋物かどうか読み込んで読み込んで何度も疑って見ればよいかと思います。千載一遇とはまさにこのことです。
 おまえが論文書けといえば書かぬでもありませんが、当面、手が回りそうにありません。

反省2010/04/25 21:09

ネタを思いつく内が華とばかりに、次々と論文を書くのはよいのだが、どうも書けば書くほど恥もかくという面もあって、ミスが絶えない。

基本的な能力の問題なのかもしれないが、もうここまでくると後戻りはできないし、修行し直しもできないわけである。広げてしまった風呂敷はきちんとしまわねばならない。ということで書き進めることにする。ご批正をいただけることに感謝しつつ。

持参金付きでも・・・・2010/03/30 00:04

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100329-OYT1T00649.htm

 まあ理系の話であろうし、世の中のことに口を挟んでいる暇はないのだが、こういう奇妙なことがおこなわれているとつぶやきたくもなる。

 持参金を付けてあげれば採用されるのではないかって発想は、ポスドクの価値がまるで低いかのような売りこみかたである・・・。これでは雇う側に相応の負担があるのかもってことになろう。実際、そうなのだろうか?

 ポスドクに潜在能力があると認めるなら、その起業を積極的に支援する基金を作るとか、新産業に関する提案を彼らから懸賞公募して企業に売り込むとか、積極利用する発想だってあってもいいだろうに。