新収 『史学雑誌』第118編第1号2009/02/10 02:03

史学会『史学雑誌』第118編第1号、2009年1月

岡部毅史、梁簡文帝立太子前夜-南朝皇太子の歴史的位置に関する一考察
桃木至朗、逆風のなかの東洋史学
シャルロッテ・フォン・ヴェアシェア、日本古代における五穀と年中行事

丸ごと興味深い内容だった。最近南朝の論文が目立つ。
 今まで北朝の方が出土資料(特に墓誌)が多かったせいもあるだろうが、最近は南朝にも出土資料が増えているからそうしたところから成果も出てくるに違いない(どうも身近で発表される気配が)。「穀」といえば中林さんからもらった論文をおもいだした。

「大学を含む学術・教育界では、世界イコール欧米という「偏西風」が今なお強く吹いている。」(桃木先生コラム)

逆に欧米分野の教員は「これからはアジアの時代ですね」などといってたりするのだが、・・・数字で見れば実際はコラムのとおりであろう。

要するにできれば役に立つものを、またどうせ時間をつかうならあこがれの分野を選択するのだろう。ヨーロッパにあこがれてもアジアにあこがれる人は少ないということか。また表面的に「役に立つ」ものを選ぶ傾向が強まっているので、古典・教養からはますます学生が離れていくことになる。
 そういう状況で、「研究」という金看板を前にあげると学生はどんどん、ひいていく。そもそも職業としての研究者になれる確率はものすごく低くなった。大学で学んだ教養を日常の生活や体験として何に活かせるのか、どうしたらその意味を感じてもらえるのか、それが肝心なのだろう。 そもそも自分の今に役立たない(楽しくない)ことはたしかにだれもやろうとしないのである。(自分がそうだ)。

新収 『史滴』第30号2009/02/10 02:48

早稲田大学東洋史懇話会『史滴』第30号、2008年12月。

特集「フィールド歴史学」

近藤一成、「フィールド歴史学」の提案

近藤先生の巻頭論文にも次のような一文がある。
「近年、アジア史学とりわけ東アジア史を専攻する学生が少なくなっている」「この十年ほどの落ち込みは何か底が抜けたという感じである」

この他、戦国~近現代モンゴル、朝鮮半島、18世紀西アジアまで14本の論文・レポートが並ぶ。こんなに厚くて(総293頁)多彩な内容の東洋史の雑誌は近年希有だろう。専攻者数は「落ち込」んではいるが、数年前に院生になった多くの人たちが執筆者や編集者として、これを支えているわけだ。魏晋南北朝隋唐関連でも面白い論文がおおい。以下に一部を紹介した。

森和、「日書」と中国古代史研究ー時称と時制の問題を例に
吉田愛、『花郎世紀』の基礎的研究ー世系・血縁関係記事の分析を中心に
飯山知保、モンゴル時代華北における系譜伝承と碑刻史料
ソグド人漢文墓誌訳注(5) 固原出土「史索巌墓誌(唐・顕慶三年)」
佐野理恵子、『荊楚歳時記』成立の背景をめぐって-魏晋南北朝時代における民間習俗の禁止事例を中心にー

『花郎世紀』は8世紀朝鮮半島の史料であるが、その写本は近年発見されたもので、いまだ真偽がさだかではないとのことである。そのテキストを仔細に分析し、特徴を論じている。