拝受 契嵩の護法思想 ほか ― 2009/02/12 12:24
中西久味、契嵩の護法思想、『日本中国学会報』第60集、2008年10月。
中西久味、柳田聖山という先生、『柳田聖山先生追悼文集』、2008年11月。
中西先生からいただいた。ありがとうございました。契嵩は十一世紀の人。
前者の中で米沢図書館蔵本『鐔津文集』にふれられている。そこに示されているとおり、米沢本『鐔津文集』は至元十九年(1282)の版本である。『鐔津文集』には「米澤蔵書」印が捺されている。したがって「米澤蔵書」印が捺されている書籍として、光宗中(1194~1200)補刊『千金要方』についで古いのは『鐔津文集』であり、『韻府群玉』(米沢本は元統二年(1334))はそれにつぐ。
拙稿「「米澤蔵書」からみた江戸期における藩校蔵書の形成」では『千金要方』についで古いものを『韻府群玉』と記述したが、この点は修正しなくてはならない。米沢本『鐔津文集』が至元十九年の版本であることは『米沢善本の研究と解題』(1958)以前の米沢図書館『珍書目録』(1911)にすでにあきらかである。なお、米沢本『鐔津文集』、『韻府群玉』ともに五山・林下の寺院由来とみられる。
ついでに拙稿では「米澤蔵書」印が捺された下限とみられるものを寛文九年(1669)の『読耕林先生文集』としているが、脱稿後まもなくの調査でさらに年代が下る書籍があることなどが判明している(この点は『米沢善本の研究と解題』ではわからない)。このように「米澤蔵書」印が捺された書籍の刊年については上下限ともに記述を修正する必要がある。それでもおおかたの論旨には影響はないようだが、そのままにしておくわけにもいかないので調査、報告をしなおす必要があると思っていたところだった。
当面、まとまった文章が書けそうにないので、中西先生のお仕事にかこつけてここに付記させていただく。
中西久味、柳田聖山という先生、『柳田聖山先生追悼文集』、2008年11月。
中西先生からいただいた。ありがとうございました。契嵩は十一世紀の人。
前者の中で米沢図書館蔵本『鐔津文集』にふれられている。そこに示されているとおり、米沢本『鐔津文集』は至元十九年(1282)の版本である。『鐔津文集』には「米澤蔵書」印が捺されている。したがって「米澤蔵書」印が捺されている書籍として、光宗中(1194~1200)補刊『千金要方』についで古いのは『鐔津文集』であり、『韻府群玉』(米沢本は元統二年(1334))はそれにつぐ。
拙稿「「米澤蔵書」からみた江戸期における藩校蔵書の形成」では『千金要方』についで古いものを『韻府群玉』と記述したが、この点は修正しなくてはならない。米沢本『鐔津文集』が至元十九年の版本であることは『米沢善本の研究と解題』(1958)以前の米沢図書館『珍書目録』(1911)にすでにあきらかである。なお、米沢本『鐔津文集』、『韻府群玉』ともに五山・林下の寺院由来とみられる。
ついでに拙稿では「米澤蔵書」印が捺された下限とみられるものを寛文九年(1669)の『読耕林先生文集』としているが、脱稿後まもなくの調査でさらに年代が下る書籍があることなどが判明している(この点は『米沢善本の研究と解題』ではわからない)。このように「米澤蔵書」印が捺された書籍の刊年については上下限ともに記述を修正する必要がある。それでもおおかたの論旨には影響はないようだが、そのままにしておくわけにもいかないので調査、報告をしなおす必要があると思っていたところだった。
当面、まとまった文章が書けそうにないので、中西先生のお仕事にかこつけてここに付記させていただく。