拙稿「六朝隋唐五代と日本における『霊棋経』」 ― 2006/04/17 01:06
占筮書である『霊棋経』の東アジアにおける展開について論じたものです。米沢には2度、有給休暇をとっていきました。この論文を書く過程で漢籍の存在をより近くに感じることができました。
後で気づいたことが2つ。
ひとつは正しくは「市立米沢図書館」だったらしい。
それと池田温『中國古代寫本識語集録』にもこれらの写本の一つについて言及があります。拙稿と見解を異にしてますが、とりあえず自説に説得力があると思ってます。
「はじめに」 より-----------------------------
山形県米沢市にある米沢市立図書館は多数の善本を所蔵することで各方面の研究者に知られている。たとえば、所蔵していた黄善夫本『史記』『漢書』『後漢書』前三史や唐代の医書『千金方』は東アジアをみわたしても数少ない宋本であるし、五山の僧、桃源瑞仙『史記桃源抄』および月舟壽桂『史記幻雲抄』鈔本のひとつを所蔵する。そしてこれら貴重な典籍の多くは米沢藩校、興讓館や米沢藩上杉家の旧蔵書であり、武将として知られる直江兼続や前田慶次にかかわるものもあるとつたえられる 。
また、一九〇〇年に現・甘粛省敦煌市の莫高窟・蔵経洞で発見された敦煌文献は南北朝から隋唐五代期の漢文以外もふくんだ広汎な分野にわたるものであり、その人類史的な重要性は衆目の一致するところである。
この二つの地に『霊棋経』という典籍が存在した 。『霊棋経』とは計十二枚の棋に上・中・下をそれぞれ四枚ずつ、記したものを投げ、字のある面とない面、百四十五の組み合わせを卦とし、それに対応した謠辞、吉凶を記した卜筮書である。いまやその名はほとんど聞かない典籍であるが、判断に迷ったときの決めてとして、長い間、世に行われたようである 。・・・
--------------------------------------------
興味をもたれた方は『資料学研究』第3号(2006年3月)をごらんください。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AA11919175
後で気づいたことが2つ。
ひとつは正しくは「市立米沢図書館」だったらしい。
それと池田温『中國古代寫本識語集録』にもこれらの写本の一つについて言及があります。拙稿と見解を異にしてますが、とりあえず自説に説得力があると思ってます。
「はじめに」 より-----------------------------
山形県米沢市にある米沢市立図書館は多数の善本を所蔵することで各方面の研究者に知られている。たとえば、所蔵していた黄善夫本『史記』『漢書』『後漢書』前三史や唐代の医書『千金方』は東アジアをみわたしても数少ない宋本であるし、五山の僧、桃源瑞仙『史記桃源抄』および月舟壽桂『史記幻雲抄』鈔本のひとつを所蔵する。そしてこれら貴重な典籍の多くは米沢藩校、興讓館や米沢藩上杉家の旧蔵書であり、武将として知られる直江兼続や前田慶次にかかわるものもあるとつたえられる 。
また、一九〇〇年に現・甘粛省敦煌市の莫高窟・蔵経洞で発見された敦煌文献は南北朝から隋唐五代期の漢文以外もふくんだ広汎な分野にわたるものであり、その人類史的な重要性は衆目の一致するところである。
この二つの地に『霊棋経』という典籍が存在した 。『霊棋経』とは計十二枚の棋に上・中・下をそれぞれ四枚ずつ、記したものを投げ、字のある面とない面、百四十五の組み合わせを卦とし、それに対応した謠辞、吉凶を記した卜筮書である。いまやその名はほとんど聞かない典籍であるが、判断に迷ったときの決めてとして、長い間、世に行われたようである 。・・・
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興味をもたれた方は『資料学研究』第3号(2006年3月)をごらんください。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AA11919175
拙稿「北朝隋唐期の貴石印章とその用途」 ― 2006/04/17 01:21
かつて公刊した拙稿「斉俗と恩倖」(『史滴』掲載)は北斉政権にあらわれた恩倖と政権をとりまく国際環境を論じたものでした。恩倖にはソグド系のものが深く関与していました。
ところが最近、中国でのソグド人墓の発掘報告や論文のラッシュもあって新味がないものになってしまいました。ただこの処女論文にはさまざまな伏線が練りこんでありました。たとえば「悪党」、共同体論などです。
だから新しい考古遺物の発見もこうした視点とむすびつければなにかがみえる、そう思って資料をあつめているうちに、この課題にたどりつきました。
「はじめに」より-----------------------------------
北朝~唐初の墓の発掘にともない、副葬品として陰刻丸形の印章型の石を嵌め込んだ指輪が発見されたという報告を目にする機会が多くなってきた。たとえば、山西省太原の徐穎墓から出土した指輪型の印章が2003年10号の『文物』の表紙を飾ったことは記憶に新しいところである。これらは皇帝の璽、臣下が持つ印、章といった類とかなり様相を異にしたもので、人物や動物像など所謂西方(中央アジア、西アジア、欧州等)由来とおもわれる図像が貴石(宝石)の印面に刻まれている(以後、貴石印章と総称する)。
(中略)
中国国内で発見されたこのような西方系の貴石印章は実はすでに相当数となりつつあり、印面の図像やその用途を一歩ふみこんで考える手がかりがそろいつつある。・・・
-----------------------------------------------
続きは「東アジアー歴史と文化」第14号(2005年3月)で。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN1048009X
ところが最近、中国でのソグド人墓の発掘報告や論文のラッシュもあって新味がないものになってしまいました。ただこの処女論文にはさまざまな伏線が練りこんでありました。たとえば「悪党」、共同体論などです。
だから新しい考古遺物の発見もこうした視点とむすびつければなにかがみえる、そう思って資料をあつめているうちに、この課題にたどりつきました。
「はじめに」より-----------------------------------
北朝~唐初の墓の発掘にともない、副葬品として陰刻丸形の印章型の石を嵌め込んだ指輪が発見されたという報告を目にする機会が多くなってきた。たとえば、山西省太原の徐穎墓から出土した指輪型の印章が2003年10号の『文物』の表紙を飾ったことは記憶に新しいところである。これらは皇帝の璽、臣下が持つ印、章といった類とかなり様相を異にしたもので、人物や動物像など所謂西方(中央アジア、西アジア、欧州等)由来とおもわれる図像が貴石(宝石)の印面に刻まれている(以後、貴石印章と総称する)。
(中略)
中国国内で発見されたこのような西方系の貴石印章は実はすでに相当数となりつつあり、印面の図像やその用途を一歩ふみこんで考える手がかりがそろいつつある。・・・
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続きは「東アジアー歴史と文化」第14号(2005年3月)で。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN1048009X
ある晴れた日 ― 2006/04/22 13:04

今日はひさびさによい天気である。
春になったというのにここのところ、天気がよくなかったので、うれしい。しかし、毎日毎日やることがあって、そうそう散歩もできない。
今日は家にこもって『証類本草』序文の翻訳と『新修本草』に関する論文書きである。
「銭五匕とは、今の五銖銭のふちにある「五」字ですくい、散の落ちない程度である」
これ、ほんとに適訳なのだろうか。「五」字ですくい、とはその字の凹凸を利用してサジにするとという意味なのか。この辺が文面だけの「本草」研究をしている私にはぴんとこないところである。だいたい、こういうところで1時間や30分はあっという間にすぎる。
『証類本草』序文で参照すべきは岡西為人『本草概説』の「本草の内容と変遷」である。ふむふむ、「古くは散薬を量るのに貨幣をもちいることがあった」ということは自明のことなのですね。
散歩ができなくても、山も海もみえる部屋に住んでるのは幸いである。雪解けしつつある遠くの山を眺めながら、五銖銭のふちにある「五」字の意味を考える。まあよいかもしれない。
春になったというのにここのところ、天気がよくなかったので、うれしい。しかし、毎日毎日やることがあって、そうそう散歩もできない。
今日は家にこもって『証類本草』序文の翻訳と『新修本草』に関する論文書きである。
「銭五匕とは、今の五銖銭のふちにある「五」字ですくい、散の落ちない程度である」
これ、ほんとに適訳なのだろうか。「五」字ですくい、とはその字の凹凸を利用してサジにするとという意味なのか。この辺が文面だけの「本草」研究をしている私にはぴんとこないところである。だいたい、こういうところで1時間や30分はあっという間にすぎる。
『証類本草』序文で参照すべきは岡西為人『本草概説』の「本草の内容と変遷」である。ふむふむ、「古くは散薬を量るのに貨幣をもちいることがあった」ということは自明のことなのですね。
散歩ができなくても、山も海もみえる部屋に住んでるのは幸いである。雪解けしつつある遠くの山を眺めながら、五銖銭のふちにある「五」字の意味を考える。まあよいかもしれない。
余欣著『神道人心-唐宋之際敦煌民生宗教社会史研究』中華書局、2006.3 ― 2006/04/24 00:08
2001年だったか、大学の研究班で北京大に行った際、余欣氏に初めてあった。彼は私より若い研究者のようだった。
そのとき、彼が具体的にどのような研究をしてるのか知らなかったが、行神に関する論文をもらい、さらに後日、偽の敦煌文書について書いた論文を読んだ。
その後、彼は復旦大に就職し、学会で会ったS先生を通して、私宛に抜き刷りをくれた。それは薬学史的な論文だった。さてこの人は何を研究しているのだろうと思っていたが、なにか志向性を同じくする人に思えた。
それがこの著書を読んで、その思いは強くなった。
彼の言う「新史学」とは日本でもよくしられた「新しい歴史学」、アナール学派にみられる潮流のことであり、ここ数年、台湾、香港の中国学研究者がこれについて論じているものをいくつか読んだことがあった。私も大学時代、アナール学派や阿部謹也、網野善彦氏の著書を読んで、どうして中国史では彼らのような視角で題材をあつかわないのか不思議におもっていた。ただ実際、史料を見ていってわかったのはそういう題材になる史料はなかなかみつかならないことだった。
つまるところ、社会史なんて言葉にも、「新しい」なんて言葉にもさほど意味があるとはおもわない。ただ、視角として独創性と論証の妥当性を両立させられるかどうかは研究の価値そのものである。そしてその意味で「おもしろい」研究は大抵、それを巧みに成立させるアイディアにあふれていた。
彼の仕事にはそうした「企て」がみられるし、多くの文献を博捜しており、広く敦煌文献も実見しているようである。その意味で、今後こうした研究をすすめるうえで見過ごすことのできない仕事といえるだろう。
なお、こうした分野の先行研究には高国藩、黄正建、宮崎順子、鄭炳林といった仕事がある。余氏はこれらを良く読み込んでいるように思われるが、どれほど凌駕しているのかはこれから読んでみるところである。
5/2 余欣氏からこの著書をいただいた。ありがとうございました。・・2冊になってしまいました。
6/20全然連絡しないでいたら、余欣氏からメールをもらった。了解。書評を書かせて頂きます。
そのとき、彼が具体的にどのような研究をしてるのか知らなかったが、行神に関する論文をもらい、さらに後日、偽の敦煌文書について書いた論文を読んだ。
その後、彼は復旦大に就職し、学会で会ったS先生を通して、私宛に抜き刷りをくれた。それは薬学史的な論文だった。さてこの人は何を研究しているのだろうと思っていたが、なにか志向性を同じくする人に思えた。
それがこの著書を読んで、その思いは強くなった。
彼の言う「新史学」とは日本でもよくしられた「新しい歴史学」、アナール学派にみられる潮流のことであり、ここ数年、台湾、香港の中国学研究者がこれについて論じているものをいくつか読んだことがあった。私も大学時代、アナール学派や阿部謹也、網野善彦氏の著書を読んで、どうして中国史では彼らのような視角で題材をあつかわないのか不思議におもっていた。ただ実際、史料を見ていってわかったのはそういう題材になる史料はなかなかみつかならないことだった。
つまるところ、社会史なんて言葉にも、「新しい」なんて言葉にもさほど意味があるとはおもわない。ただ、視角として独創性と論証の妥当性を両立させられるかどうかは研究の価値そのものである。そしてその意味で「おもしろい」研究は大抵、それを巧みに成立させるアイディアにあふれていた。
彼の仕事にはそうした「企て」がみられるし、多くの文献を博捜しており、広く敦煌文献も実見しているようである。その意味で、今後こうした研究をすすめるうえで見過ごすことのできない仕事といえるだろう。
なお、こうした分野の先行研究には高国藩、黄正建、宮崎順子、鄭炳林といった仕事がある。余氏はこれらを良く読み込んでいるように思われるが、どれほど凌駕しているのかはこれから読んでみるところである。
5/2 余欣氏からこの著書をいただいた。ありがとうございました。・・2冊になってしまいました。
6/20全然連絡しないでいたら、余欣氏からメールをもらった。了解。書評を書かせて頂きます。
佐藤弘夫『起請文の精神史-中世世界の神と仏』講談社選書メチエ、2006.4 ― 2006/04/25 21:40
「この本では、既存のいかなる理論も方法も借りることはしません」
「この列島に展開する思想世界は決して海外から移入されるさまざまな思潮をそのまま懐の内に組み入れていったわけではありません」
小気味よい語り口で読みやすい本である。いや、まだ実は途中までしか読んでない。しかし、とりあえず思ったことを書き留めておくとしよう。
昨日につづいて考えれば、アナール学派もよいが、それに引きずられては意味がない。むしろ、どうしてそういう研究を読んだときにおもしろいと思ったのか、その自分の感覚をあらためて確認し直して、そこから研究をはじめることが大切だとおもう。
さて、神仏にあることを誓約した文書、それが起請文である。筆者はこの「紙切れ」を通して中世人の精神世界を読み解こうとする。
ところが私の目は筆者に反して、これ敦煌文献に似たものがとか、異端審問をうける粉ひき職人の精神宇宙とかの比較にむかってしまう。
「海外から移入されるさまざまな思潮をそのまま懐の内に組み入れていったわけでは」ないのは当然だとして、どんなものが移入され、どんなふうにその懐にとりいれられていったのか、なにが独特なのか東アジア史の中で俯瞰できないか、また起請文は道教系のおふだに似ているなとか、いろんなことを考えさせられた。筆軸印というのもおもしろそうだ。
「この列島に展開する思想世界は決して海外から移入されるさまざまな思潮をそのまま懐の内に組み入れていったわけではありません」
小気味よい語り口で読みやすい本である。いや、まだ実は途中までしか読んでない。しかし、とりあえず思ったことを書き留めておくとしよう。
昨日につづいて考えれば、アナール学派もよいが、それに引きずられては意味がない。むしろ、どうしてそういう研究を読んだときにおもしろいと思ったのか、その自分の感覚をあらためて確認し直して、そこから研究をはじめることが大切だとおもう。
さて、神仏にあることを誓約した文書、それが起請文である。筆者はこの「紙切れ」を通して中世人の精神世界を読み解こうとする。
ところが私の目は筆者に反して、これ敦煌文献に似たものがとか、異端審問をうける粉ひき職人の精神宇宙とかの比較にむかってしまう。
「海外から移入されるさまざまな思潮をそのまま懐の内に組み入れていったわけでは」ないのは当然だとして、どんなものが移入され、どんなふうにその懐にとりいれられていったのか、なにが独特なのか東アジア史の中で俯瞰できないか、また起請文は道教系のおふだに似ているなとか、いろんなことを考えさせられた。筆軸印というのもおもしろそうだ。