展示 敦煌経と中国仏教美術 ― 2006/12/11 00:30
三井記念美術館「特別展 敦煌経と中国仏教美術」
2006年11月18日(土)~12月17日(日)
敦煌文献関係者必見の展覧会である。真品のお墨付きの敦煌文献をみることができる。
まず金銅仏の展示がある。選りすぐられている感じをうけた。特に静嘉堂蔵の北朝仏はなかなかで、芸大所蔵の陳の紀年がある銅像はたしかに珍品である。
敦煌文献として25点の仏典の展示があった。これらは三井家が所蔵していたモノで、研究者が真品と見なしたものばかりである(藤枝晃「敦煌出土の長安宮廷写経」、『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』pp.647-667、1961、赤尾栄慶『敦煌写本の書誌に関する調査研究-三井文庫所蔵本を中心として-』科研報告書、2002)。
展示はいわゆる「長安宮廷写経」ものを中心とし、高い完成度と芸術品としての迫力をそなえている。なお、これらは戦後は2004年に三井文庫別館で公開されたのがはじめてで、今回2度目である。以前の展覧会時の図録『三井文庫別館蔵品図録 敦煌写経 北三井家』(三井文庫、2004)は少々写真が小さいのが難点であったが、今回の展示に際して、『三井記念美術館所蔵 精選敦煌写経』(三井文庫、2006、総26頁)が出版され、そこに展示中の尤品の一部原寸大写真をみることができる。
三井記念美術館
http://www.mitsui-museum.jp/index2.html
ところで日本の個人や機関が所蔵する敦煌文献は相当数存在すると思われるのだが、なかなか公開されず、全貌の把握がされていない。それはかつて日本のほとんどの敦煌文献の真偽が疑われたことがあったためといわれている(あえてこの表現)。
その意味で2004年に公開された三井蔵品は貴重であった。ただ徐々に状況はかわりつつある。相当数所蔵していると目されていた台東区書道博物館が2005年にその所蔵品をカラー図録として公開したのである。
そして拙稿でもあきらかにしたように、まだまだ日本には未公開の敦煌文献が所蔵されている。どうやら贋物扱いされているらしいと聞いているが、すくなくとも「仏典」の基準で俗文書の価値をはかるのはナンセンスである。また、拙稿で論じたものの価値は覆らないと確信する。早期の公開をのぞむ。
李盛鐸旧蔵敦煌文書(大阪・某所蔵?、未公開)に関する拙稿
http://www.asahi-net.or.jp/~YW5A-IWMT/contents/china.htm
1.羽田記念館所蔵「西域出土文献写真」766・767『十六国春秋』考-李盛鐸旧蔵敦煌文献をめぐって
2.唐朝の医事政策と『新修本草』-李盛鐸将来本序例をてがかりとして
3.唐宋期における守庚申と盤上遊戯-『西域出土文献写真』所収「宵夜図考」
1,3はおそらく鑑定用に撮影されたとおぼしき白黒写真(京大蔵「西域出土文献写真」)をもちいた。2の新修本草の写真はある研究書の扉のみに掲載されている(これももともとは1、3と同類であったとみられる)。
2006年11月18日(土)~12月17日(日)
敦煌文献関係者必見の展覧会である。真品のお墨付きの敦煌文献をみることができる。
まず金銅仏の展示がある。選りすぐられている感じをうけた。特に静嘉堂蔵の北朝仏はなかなかで、芸大所蔵の陳の紀年がある銅像はたしかに珍品である。
敦煌文献として25点の仏典の展示があった。これらは三井家が所蔵していたモノで、研究者が真品と見なしたものばかりである(藤枝晃「敦煌出土の長安宮廷写経」、『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』pp.647-667、1961、赤尾栄慶『敦煌写本の書誌に関する調査研究-三井文庫所蔵本を中心として-』科研報告書、2002)。
展示はいわゆる「長安宮廷写経」ものを中心とし、高い完成度と芸術品としての迫力をそなえている。なお、これらは戦後は2004年に三井文庫別館で公開されたのがはじめてで、今回2度目である。以前の展覧会時の図録『三井文庫別館蔵品図録 敦煌写経 北三井家』(三井文庫、2004)は少々写真が小さいのが難点であったが、今回の展示に際して、『三井記念美術館所蔵 精選敦煌写経』(三井文庫、2006、総26頁)が出版され、そこに展示中の尤品の一部原寸大写真をみることができる。
三井記念美術館
http://www.mitsui-museum.jp/index2.html
ところで日本の個人や機関が所蔵する敦煌文献は相当数存在すると思われるのだが、なかなか公開されず、全貌の把握がされていない。それはかつて日本のほとんどの敦煌文献の真偽が疑われたことがあったためといわれている(あえてこの表現)。
その意味で2004年に公開された三井蔵品は貴重であった。ただ徐々に状況はかわりつつある。相当数所蔵していると目されていた台東区書道博物館が2005年にその所蔵品をカラー図録として公開したのである。
そして拙稿でもあきらかにしたように、まだまだ日本には未公開の敦煌文献が所蔵されている。どうやら贋物扱いされているらしいと聞いているが、すくなくとも「仏典」の基準で俗文書の価値をはかるのはナンセンスである。また、拙稿で論じたものの価値は覆らないと確信する。早期の公開をのぞむ。
李盛鐸旧蔵敦煌文書(大阪・某所蔵?、未公開)に関する拙稿
http://www.asahi-net.or.jp/~YW5A-IWMT/contents/china.htm
1.羽田記念館所蔵「西域出土文献写真」766・767『十六国春秋』考-李盛鐸旧蔵敦煌文献をめぐって
2.唐朝の医事政策と『新修本草』-李盛鐸将来本序例をてがかりとして
3.唐宋期における守庚申と盤上遊戯-『西域出土文献写真』所収「宵夜図考」
1,3はおそらく鑑定用に撮影されたとおぼしき白黒写真(京大蔵「西域出土文献写真」)をもちいた。2の新修本草の写真はある研究書の扉のみに掲載されている(これももともとは1、3と同類であったとみられる)。
新収 中国人の宗教・道教とは何か ― 2006/12/14 21:30
松本浩一『中国人の宗教・道教とは何か』 PHP新書、2006年11月
道教の入門書的な内容。新書ではあるが内容はぎっしり。
道教の入門書的な内容。新書ではあるが内容はぎっしり。
新収 戦国武将の養生訓 ― 2006/12/15 03:00
山崎光夫 『戦国武将の養生訓』新潮選書、2004年12月
戦国武将の養生法と房中術を紹介したユニークな日本中世史の本である。中身はある意味、曲直瀬道三伝であり、彼が作った養生に関する歌や献上した書物を訳していくことでその思想をさぐっていくという手法となっている。
著者もあかしているようにこのブログにもあげた矢数道明『近世漢方医学史』が重要な役割を果たしているほか、最近、漢学、日本医学史の分野で広く目にする町泉寿郎氏の貢献も大きいとあとがきに書いてある。
医学史は人間や時代の特徴をなまなましく引き出すことを実感させられる本である。
戦国武将の養生法と房中術を紹介したユニークな日本中世史の本である。中身はある意味、曲直瀬道三伝であり、彼が作った養生に関する歌や献上した書物を訳していくことでその思想をさぐっていくという手法となっている。
著者もあかしているようにこのブログにもあげた矢数道明『近世漢方医学史』が重要な役割を果たしているほか、最近、漢学、日本医学史の分野で広く目にする町泉寿郎氏の貢献も大きいとあとがきに書いてある。
医学史は人間や時代の特徴をなまなましく引き出すことを実感させられる本である。
新収 トランヴェール 2006-12月号 ― 2006/12/15 03:20
『トランヴェール』2006-12月号、東日本旅客鉄道株式会社
矢田俊文監修「特集:越後の戦国武将、上杉謙信を旅する」
『トランヴェール』はJR東日本の新幹線に乗ると各席においてある冊子。
冊子に書いてあるように持ち帰りは自由である。特集の監修者は新潟大学の矢田俊文先生。上杉氏特集なので、上越、米沢などの見所もかいてある。新潟、米沢は上杉氏でつながっていることに気づかされる一冊である。ここではとりあげられていないが会津若松もその点でつながる。
矢田俊文監修「特集:越後の戦国武将、上杉謙信を旅する」
『トランヴェール』はJR東日本の新幹線に乗ると各席においてある冊子。
冊子に書いてあるように持ち帰りは自由である。特集の監修者は新潟大学の矢田俊文先生。上杉氏特集なので、上越、米沢などの見所もかいてある。新潟、米沢は上杉氏でつながっていることに気づかされる一冊である。ここではとりあげられていないが会津若松もその点でつながる。
拝受 中国におけるソバについて他 ― 2006/12/18 19:30
中林広一「中国におけるソバについて」、『史苑』66-1(通号175号)2005年11月
中林広一「中国におけるヤムイモについて」、立教大学大学院文学研究科史学専攻東洋史『東洋史学論集』第4号,2002年3月
大澤正昭・大川裕子・中林広一・村上陽子「中国史上の芋類史料集成稿(一)サトイモ・ナガイモなど」、『上智史学』第49号、2004年11月
大澤正昭・大川裕子・中林広一・村上陽子「中国史上の芋類史料集成稿(二)サトイモ・ナガイモなど」、『上智史学』第50号、2005年11月
中林さんからいただいた。
中国農業史はある時期、非常に注目されていた分野であったが、最近はあまり研究がないなとおもっていたところだった。実際はこのように着実に成果を出している人たちがいることを知った。しばしば、本草書が引用されている。
中林広一「中国におけるヤムイモについて」、立教大学大学院文学研究科史学専攻東洋史『東洋史学論集』第4号,2002年3月
大澤正昭・大川裕子・中林広一・村上陽子「中国史上の芋類史料集成稿(一)サトイモ・ナガイモなど」、『上智史学』第49号、2004年11月
大澤正昭・大川裕子・中林広一・村上陽子「中国史上の芋類史料集成稿(二)サトイモ・ナガイモなど」、『上智史学』第50号、2005年11月
中林さんからいただいた。
中国農業史はある時期、非常に注目されていた分野であったが、最近はあまり研究がないなとおもっていたところだった。実際はこのように着実に成果を出している人たちがいることを知った。しばしば、本草書が引用されている。
新収 江陵張家山二四七号墓出土漢律令の研究 ― 2006/12/19 01:58
冨谷至編『江陵張家山二四七号墓出土漢律令の研究』朋友書店、2006年10月
訳注編と論考編に分かれる。訳注編はいわゆる「二年律令」の訳。
江陵張家山二四七号墓から漢律が出土したのは1983年から1984年で、脈書などとともに出土している。
訳注編と論考編に分かれる。訳注編はいわゆる「二年律令」の訳。
江陵張家山二四七号墓から漢律が出土したのは1983年から1984年で、脈書などとともに出土している。
新収 書林の眺望 ― 2006/12/20 20:30
井上進『書林の眺望-伝統中国の書物世界』平凡社、2006年11月
第一部 書物の世界
第二部 旧書筆記
第三部 目録・版本研究
中国の文献学・目録学に興味があれば、非常に楽しめる本である。日本の地方図書館に所蔵される漢籍や宋元明といった中国の典籍、出版事情だけでなく日本中世・江戸時代の漢籍に関するネタが次々にでてくる。実に浩瀚な書物がとりあげられている。
著者独特の語り口調で展開していくので、読み物のノリでどんどん読み進めていける反面、あとで、さて、「あの話」はどこに書いてあったかなと本を開くとなかなかそこに行き着かなかったりする。「眺望」だから求めるのもナンだとおもうが、索引がほしい感じがした。
さて、井上先生には何度かお会いし、いろいろ教えていただいた。実に精力的にまた楽しそうに漢籍を調査されている様子が思い出される。あ、そういえば・・・「思い出される」なんて書いてる場合ではなかったのだった(以下略)。
第一部 書物の世界
第二部 旧書筆記
第三部 目録・版本研究
中国の文献学・目録学に興味があれば、非常に楽しめる本である。日本の地方図書館に所蔵される漢籍や宋元明といった中国の典籍、出版事情だけでなく日本中世・江戸時代の漢籍に関するネタが次々にでてくる。実に浩瀚な書物がとりあげられている。
著者独特の語り口調で展開していくので、読み物のノリでどんどん読み進めていける反面、あとで、さて、「あの話」はどこに書いてあったかなと本を開くとなかなかそこに行き着かなかったりする。「眺望」だから求めるのもナンだとおもうが、索引がほしい感じがした。
さて、井上先生には何度かお会いし、いろいろ教えていただいた。実に精力的にまた楽しそうに漢籍を調査されている様子が思い出される。あ、そういえば・・・「思い出される」なんて書いてる場合ではなかったのだった(以下略)。
新収 文物 2006-11 ― 2006/12/20 20:35
『文物』2006-11、文物出版社。
安徽天長西漢墓発掘簡報(2004年11月発掘)
洛陽関林大道徐屯東段唐墓発掘簡報(2005年7月発掘)
湖南岳陽桃花山唐墓(1994年発掘)
記新発現嘉峪関毛荘子魏晋墓木版画(2002年9月)
漢代から唐代までのおもしろい報告がいっぱい。研究題材に事欠かない時代になったものだ(とはいえ、一般的に見ておもしろいネタほど取扱注意となる)。
天長西漢墓からは木牘が数点。隷書が鮮明。また鮮やかな漆器が目を引く。安徽でもよくあるのかもしれないが、湖南・湖北の戦国秦漢墓からでてくるものと似ている気がする。
湖南省、岳陽桃花山の唐墓でたぶん注目すべきは、全部そろってないが「生肖俑」であろう。いわゆる十二支俑である。ちょうど先日、日本でキトラ古墳の虎の壁画を保存のために特殊カッターをつくってもらって、はぎとったという話があったばかりである。同じく服を着ている姿である。こうしたものを墓に入れる(壁にかく)例は朝鮮半島にもあることが知られているが、中国の北朝期あたりの墓にみられるものが一番古いようである。そうしたことから考えても中国北朝隋唐の墓葬はそうとう日本古代のそれに影響を与えてる、関係深いと思われるが、彼の地の発掘はまだまだ。しかし、開発に伴いどんどんでてくるはずなので、注目である。この辺の題材はひとつの発掘で説がひっくり返る可能性もあって結構危ない。
嘉峪関毛荘子魏晋墓の木画には伏羲女媧図が書かれている。これは棺に書かれたものらしい。四神が書かれた板もある。しかし、こんなに紳士淑女然とした伏羲女媧図は珍しい気がするがさてどうだろう。まるでトランプのキングとクイーンである(それはいいすぎ)。片山先生の論文を読み返してみるか。
安徽天長西漢墓発掘簡報(2004年11月発掘)
洛陽関林大道徐屯東段唐墓発掘簡報(2005年7月発掘)
湖南岳陽桃花山唐墓(1994年発掘)
記新発現嘉峪関毛荘子魏晋墓木版画(2002年9月)
漢代から唐代までのおもしろい報告がいっぱい。研究題材に事欠かない時代になったものだ(とはいえ、一般的に見ておもしろいネタほど取扱注意となる)。
天長西漢墓からは木牘が数点。隷書が鮮明。また鮮やかな漆器が目を引く。安徽でもよくあるのかもしれないが、湖南・湖北の戦国秦漢墓からでてくるものと似ている気がする。
湖南省、岳陽桃花山の唐墓でたぶん注目すべきは、全部そろってないが「生肖俑」であろう。いわゆる十二支俑である。ちょうど先日、日本でキトラ古墳の虎の壁画を保存のために特殊カッターをつくってもらって、はぎとったという話があったばかりである。同じく服を着ている姿である。こうしたものを墓に入れる(壁にかく)例は朝鮮半島にもあることが知られているが、中国の北朝期あたりの墓にみられるものが一番古いようである。そうしたことから考えても中国北朝隋唐の墓葬はそうとう日本古代のそれに影響を与えてる、関係深いと思われるが、彼の地の発掘はまだまだ。しかし、開発に伴いどんどんでてくるはずなので、注目である。この辺の題材はひとつの発掘で説がひっくり返る可能性もあって結構危ない。
嘉峪関毛荘子魏晋墓の木画には伏羲女媧図が書かれている。これは棺に書かれたものらしい。四神が書かれた板もある。しかし、こんなに紳士淑女然とした伏羲女媧図は珍しい気がするがさてどうだろう。まるでトランプのキングとクイーンである(それはいいすぎ)。片山先生の論文を読み返してみるか。
新収 北の街にて ― 2006/12/31 13:00
阿部謹也『北の街にて-ある歴史家の原点』洋泉社、2006年8月
阿部謹也氏がどのように研究生活をおくってきたか、また日本人としてなにを感じてそれを研究と関わらせてきたかを凝縮して書いてある一冊である。
私は高校時代に阿部氏の文章を読んだのがきっかけで歴史学が専攻できる大学、学部だけを受験した。阿部氏はドイツ史の研究者だが、阿部氏の力点はテーマと自分との関わりを考えることだと理解していたので、同じ分野を専攻する必然性はかんじなかった。だから西洋史でも東洋史でもよいと考えていたが、日本史だと自分の出身地にこだわることになるような気もして、それもおもしろくないかなとおもった。それで外国史と自分との関わりをしばらく考えていくことになった。そしていろいろな思いや偶然が重なり東洋史を専攻することになった。
今年、惜しくも阿部氏は亡くなってしまった。阿部氏は私の勤務先にもきたことがあるそうだが、残念ながらそれは私が赴任する前の話で、お会いすることもなかった。
論文の作法上、先行研究がとか、○○理論ではとか、○○学派によるとということも必要なことであるが、つまるところ、そのテーマを選ぶのは阿部氏がいうとおりだと思っている。この点だけは曲げずに、またこれからはそれが人につたわるように書いていきたいとこの本を読んで心を新たにした。
阿部謹也氏がどのように研究生活をおくってきたか、また日本人としてなにを感じてそれを研究と関わらせてきたかを凝縮して書いてある一冊である。
私は高校時代に阿部氏の文章を読んだのがきっかけで歴史学が専攻できる大学、学部だけを受験した。阿部氏はドイツ史の研究者だが、阿部氏の力点はテーマと自分との関わりを考えることだと理解していたので、同じ分野を専攻する必然性はかんじなかった。だから西洋史でも東洋史でもよいと考えていたが、日本史だと自分の出身地にこだわることになるような気もして、それもおもしろくないかなとおもった。それで外国史と自分との関わりをしばらく考えていくことになった。そしていろいろな思いや偶然が重なり東洋史を専攻することになった。
今年、惜しくも阿部氏は亡くなってしまった。阿部氏は私の勤務先にもきたことがあるそうだが、残念ながらそれは私が赴任する前の話で、お会いすることもなかった。
論文の作法上、先行研究がとか、○○理論ではとか、○○学派によるとということも必要なことであるが、つまるところ、そのテーマを選ぶのは阿部氏がいうとおりだと思っている。この点だけは曲げずに、またこれからはそれが人につたわるように書いていきたいとこの本を読んで心を新たにした。