法蔵敦煌文献2006/11/20 00:00

 敦煌文献は発見されてまもなく世界各地に散らばった。 最初に国外に持ち出したのはイギリスのスタインであった。しかし次に敦煌をおとずれたフランスのペリオはスタインと違い、中国語ができた。その彼が選んできたのがフランス蔵敦煌文献である。中国人にしてみれば文化財を海外に云々という問題はあろうが、それはひとまずおいといて、これらが中国古代の文化や東アジア世界の歴史を知る上で重要な資料の宝庫であることは疑いないことである。
 この白黒のマイクロフィルムが日本では駒込の東洋文庫にあることは良く知られている。また京都大学の人文研にそのコピーがあることも同様である。
 さらに今年ようやく完結した『法蔵敦煌西域文献』(上海古籍出版社)によって、わりと身近に見ることができるようになった。1冊4~6万円くらいで35冊もある巨冊だから、大きな大学図書館等にいかなければ見ることができないが、おおいに便利になった。
 そして今年、調査で訪れた際、このデジタル化が完結し、研究者にカラー印刷が提供できるようになったことを知った。しかし、reproduction 部門は図書館の一部であるにもかかわらず、こういう状況を理解しておらず、白黒しかないです、と手強かった。一悶着して、さらに数ヶ月待って、その一部を入手できた。決して強要してきたわけでなく、所定の手続きを所員の一部は認知していなかったというところであろう。
 おそらく数年後にはロンドンのIDPに提供されているなり、フランス国立図書館のWeb上から申し込めるようになるのだとおもう。敦煌学がデジタル革命の大きな渦の中にいることにあらためて気づかされた。

拝受 長沙呉簡中の名籍について2006/11/20 23:09

關尾史郎、長沙呉簡中の名籍について-史料群としての長沙呉簡・試論(2)、『唐代史研究』、第9号、2006年7月
關尾史郎、長沙呉簡中の名籍について-内訳簡の問題を中心にして、『人文科学研究』、2006年11月

関尾先生からいただく。失礼を承知でコメントしてみる。三国から唐という変遷だけでなく、木簡から紙という媒体の変遷をふまえつつ、「名籍」の問題に取り組める適任者というのは世界ひろしといえども、そう多くはいない。そういう意味で、先生「らしい」研究であり、「名籍」研究史の2本として読むとわかりやすいように思われる。ただ、この2本を読むと、それが緻密であるだけに、筆者が仮想する長沙呉簡像のどこにこれが位置するのかがなかなかつかめない。私の知識が不足しているのであろうが、なにか隔靴掻痒の感がある。
 まだ呉簡はほんの一部しか公表されていないと聞く。この2論稿はソレを分類する試論であるから、このような感想になってしまうのかもしれない。全貌が公開されるのが楽しみである。