新収 『中国古代の年中行事』 第1冊 春2009/01/29 02:29

中村裕一(著)『中国古代の年中行事』 第1冊 春、汲古書院、2009年1月。

待望の1冊目。807ページの巨冊。この分厚さは永尾龍造(『汲古』誌でもそうだったが、本文では「長尾龍造」となっている)の『支那民俗誌』を彷彿とさせる。
 中国の年中行事を論じた本は結構たくさんあるが、この本の特徴は律令と年中行事の関係にまで筆が及んでいることであろう。また敦煌文献が頻用されていることは日本のこの分野の研究ではめずらしい。
 ただ著者がこれまで律令と敦煌文献の研究をしてきたことを知っていれば、それは当然のことで、むしろなぜ「年中行事?」と思うはずであるが、その理由は本の冒頭に記されている。
 私自身、大学に入って最初に調べ始めたのは北朝のことでも本草のことでもなく、歳時記だった。定価12000円(2割引)。私費購入した。
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 本を次々に購入できるのはここ数年、研究費が安定的に確保できるようになったことがあるが(少し前はゼロだった)、それだけではこんなに本は買えない。いちいち書かなかったが、最近あなたは研究費があるからね、といわれるようになったのに、違和感を覚えるようになったので弁明しておく。

 『敦煌学輯刊』や『文物』あたりは私費で購読している。新書や文庫、日本語新刊の研究書も大概そうである。高い洋書も全部私費購入。理由は成果を社会還元できないかもしれないのであれば、おそれおおいことだと思ったからである。自己責任というわけだ。公費で買うのは大学であればあるべきなのに無いと思う書籍に主にさくことにしている。
 
 論文を書くためのコンピュータも同様である。自分の身体の一部だと思っているので、私費をつぎこむことに躊躇はない。評判のよい中古ノートを購入してHDDを換装しながら何台かを使いまわす。それが長いこと安易に安定性を保つ手段である。新品にしないのは価格もそうだが、部品の流通量が中古の方が豊富だからである。

 健康も年金も保証されない未来に不安がないわけはないが、今、自分が興味をもっていることに時間をさけないことほど、もったいないことはない。ただ、こんな状態は長くは続かないと思っている。

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