拝受 西北出土文献研究 第8号2010/06/03 21:46

西北出土文献研究会、『西北出土文献研究』第8号、2010年5月。

園田俊介、北涼沮渠氏と河西社会-北涼建国以前の沮渠氏を中心として-
町田隆吉、4~5世紀吐魯番古墓壁画・紙画再論
關尾史郎、「五胡」時代の符について-トゥルファン出土五胡文書分類試論(III)ー
岩本篤志、杏雨書屋蔵「敦煌秘笈」概観-その構成と研究史-
片山章雄、大谷探検隊吐魯番将来≪玄武関係文書≫続考
荒川正晴、ソウル、シルクロード博物館参観記
佐藤貴保、西夏法令集『天盛禁令』符牌関連条文訳注(上)

編集を担当された關尾先生からいただいた。お手数かけました。
亜東書店、朋友書店で販売されると聞いている。

http://www.ato-shoten.co.jp/

拙稿 杏雨書屋蔵「敦煌秘笈」概観 ― その構成と研究史2010/06/03 23:08

(『西北出土文献研究』第8号、2010年5月収録)

冒頭より: 
 杏雨書屋蔵「敦煌秘笈」は京都大学の教授で第12代総長でもあった羽田亨(1882-1955)による敦煌文献コレクションで、現在は蒐集にあたって資金的援助をおこなっていたとされる五代武田長兵衛にゆかりのある武田科学振興財団・杏雨書屋が所蔵する。そこにふくまれる文献総数は約760点、そのほとんどが目録の題名程度でしか知られていなかった未精査の敦煌文献である。公開前から旧蔵者の目録やわずかに公開されていた古写真などによって、その姿をある程度まで調査可能であることが意識されたが、これまでは所蔵先の公表さえされないまま、内々に整理がすすめられてきた。
  そして2009年 3月に、『杏雨書屋蔵 敦煌秘笈 目録冊』(以下、『目録冊』)が刊行、つづいて同年10月に『杏雨書屋蔵 敦煌秘笈 影片冊一』、2010年4月には『杏雨書屋蔵 敦煌秘笈 影片冊二』(以下、『影片冊』)が刊行された。今後、一年に二、三冊ずつ、第九冊まで影片冊が刊行される予定ときく。莫高窟から持ち出されて各国に分蔵されたほとんどの敦煌文献はこの一世紀の間に次々と公開され、デジタル化そしてオンライン化という新たな整理段階にはいりつつあり、今後これほどの分量の未精査の敦煌文献の存在が一度に公表されることはおそらくないとおもわれる。本コレクションが研究者間で「最後の宝蔵」と呼ばれてきたゆえんである。
 これまでの研究によれば、杏雨書屋蔵「敦煌秘笈」は李盛鐸(1859-1934)旧蔵品を中心に清野謙次、富岡謙蔵、高楠順次郎旧蔵品やその他書肆などからの購入品で構成されていることがあきらかである。また、そうした資料の構成や蒐集を支えた武田氏の存在もあわせると、この資料群は羽田亨という東洋史学者と京都大学のある関西圏において集積されてきたものといってよいであろう。もちろん、それは中国文化の精華でありユーラシア史的文化遺産でもある敦煌文献という一大資料群に由来するわけである。(一部注記を削除、以下略)

※本稿にはすでに公開されている情報の整理により、760点弱の文献名一覧および参考資料一覧を付属する。蔵書印から推測される中国の旧蔵者についての情報なども付す。

※なおこのコレクションの存在は北京大学・栄新江教授によって早くから推察されており、栄教授は資料を実見されていないにもかかわらず、これまで的確な推論を積み重ねてこられた。それは各国に分蔵された敦煌文献の性格、経緯を知悉していたことによる。また『新修本草』に関する一連の拙稿には栄先生のご教示によるところがある。このブログに記して謝辞としたい。以下はとくに「敦煌秘笈」の性格を知る上で有用なものである。
 なお『海外敦煌吐魯番文献知見録』で直接、関係している箇所はわずか数行にすぎないが(高田時雄先生が関与されたようである)、そこにしめされた指摘を契機に、池田温先生による関係資料の紹介がおこなわれ、昨年の目録冊公開に至るまで半ば手探りの状態で研究が展開されてきたのである。

栄新江(著)『海外敦煌吐魯番文献知見録』、江西人民出版社、1996年
栄新江(著)『鳴沙集』、新文豊、1999年
栄新江(著)『辨偽与存真―敦煌学論集』、上海古籍出版社,2010年3月(『鳴沙集』の増補改訂版にあたるようである)

追記:本稿では先行研究に、落合俊典「李盛鐸と敦煌秘笈」、印度學佛教學研究 52(2)、2004を欠いている。http://ci.nii.ac.jp/naid/110002707180。ここに記して是非一読をおすすめすると同時に、後日の訂正を期したい。