拝受 洛陽の歴史と文学 ― 2008/09/17 17:50
『洛陽の歴史と文学』(岡山大学文学部プロジェクト研究報告書10)、2008年3月。
佐川先生からいただいた。ありがとうございました。内容は以下の通り。
佐川英治、漢魏洛陽城の城郭構造
下定雅弘、洛陽の白居易遺跡
橘英範、六朝詩に詠じられた洛陽
橘英範、洛陽関係邦文文献目録稿
佐川先生からいただいた。ありがとうございました。内容は以下の通り。
佐川英治、漢魏洛陽城の城郭構造
下定雅弘、洛陽の白居易遺跡
橘英範、六朝詩に詠じられた洛陽
橘英範、洛陽関係邦文文献目録稿
拝受 魏晋南北朝墓誌人名地名索引 ― 2008/09/18 20:27
伊藤敏雄(主編)、中村圭爾・室山留美子(編)『魏晋南北朝墓誌人名地名索引』(『漢魏南北朝墓誌彙編』『新出魏晋南北朝墓誌疏証』篇)、科研費「出土史料による魏晋南北朝史像の再構築」、2008年9月。
便利な一冊。
便利な一冊。
新収 女人的中国医療史 他 ― 2008/09/19 18:52
李貞徳(著)『女人的中国医療史-漢唐之間的健康照顧与性別』三民書局、2008年6月。
林富士(著)『中国中古時期的宗教与医学』聯經出版、2008年6月。
続々と出版される中国医療社会史の専著。
某国では、医学史料は中国医学研究者が、それが道教的なら道教研究者が扱っていて、医療が律令に関わればそれは法制史研究者が扱うものだと決めてかかっているきらいがある。
「女人的中国医療史」をみると、そういう既存のジャンルわけとこれまでの専門分化を固定して権威づけてしまうことで見失ってきた視点に気づかされる。これは既存のジャンルでは「女性史」に入る?
創造的な研究というのは、既存ジャンルにこだるわけでも、対象史料が新らしいからできるのでもないだろう。
近年、中国・香港・台湾の出版社からでる研究書にはこういう歴史学だからできる横断性をいかしたテーマを扱うものがしばしばみうけられる。
林富士(著)『中国中古時期的宗教与医学』聯經出版、2008年6月。
続々と出版される中国医療社会史の専著。
某国では、医学史料は中国医学研究者が、それが道教的なら道教研究者が扱っていて、医療が律令に関わればそれは法制史研究者が扱うものだと決めてかかっているきらいがある。
「女人的中国医療史」をみると、そういう既存のジャンルわけとこれまでの専門分化を固定して権威づけてしまうことで見失ってきた視点に気づかされる。これは既存のジャンルでは「女性史」に入る?
創造的な研究というのは、既存ジャンルにこだるわけでも、対象史料が新らしいからできるのでもないだろう。
近年、中国・香港・台湾の出版社からでる研究書にはこういう歴史学だからできる横断性をいかしたテーマを扱うものがしばしばみうけられる。
拝受 日本の六朝貴族制研究 ― 2008/09/19 19:29
川合安、日本の六朝貴族制研究、『史朋』第40号、2007年12月。
川合安、柳芳「氏族論」と「六朝貴族制」学説、同(代表)『「六朝貴族制」の学説史研究』(科学研究費報告書)、2008年3月。
川合安、東晋琅邪王氏墓誌について、東北大学『東洋史論集』第11輯、2007年3月。
川合先生からいただいた。ありがとうございました。
3点は、貴族制社会をどうとらえるか、という視点でつながっている。
川合安、柳芳「氏族論」と「六朝貴族制」学説、同(代表)『「六朝貴族制」の学説史研究』(科学研究費報告書)、2008年3月。
川合安、東晋琅邪王氏墓誌について、東北大学『東洋史論集』第11輯、2007年3月。
川合先生からいただいた。ありがとうございました。
3点は、貴族制社会をどうとらえるか、という視点でつながっている。
新収 北斉地理志 他 ― 2008/09/21 18:45
施和金(撰)『北斉地理志』中華書局、2008年6月。
曹文柱(著)『魏晋南北朝史論合集』、2008年6月。
前者は『北周地理志』に似たコンセプト。資料集として便利であろう。
後者は北魏に関する論文もあれば東晋の論文もあり、タイトルどおり、
魏晋南北朝史全体の論文が収録される。
曹文柱(著)『魏晋南北朝史論合集』、2008年6月。
前者は『北周地理志』に似たコンセプト。資料集として便利であろう。
後者は北魏に関する論文もあれば東晋の論文もあり、タイトルどおり、
魏晋南北朝史全体の論文が収録される。
新収 唐代文官服飾文化研究 ― 2008/09/21 18:51
李怡(著)『唐代文官服飾文化研究』知識産権出版社、2008年6月。
張伝璽(著)『契約史買地券研究』中華書局、2008年8月。
張景明(著)『中国北方遊牧民族飲食文化研究』、2008年1月。
さてまだまだあるが、こんなところにしておこう。
コンピュータ関係の業務にプラスして毎日のように文章を書くのでディスプレイを見るのは避けがたいわけだが、単身赴任ということもあって寝ている時間以外はディスプレイか本ばかりを見ている生活が何年も続いた。最近はディスプレイを見ていると眼が痛くて、ついには頭痛になる。ドライアイではない。眼精疲労である。乱視もかなりすすんだ。
文章が下手だからなのか何十回と校正を繰り返すのは昔からだが、年をとったのにいっこうにおかしな表現や不注意は減らない。ディスプレイにはりつかないといけない時間も減らないので、視力はおちていく。
本への興味はともかく、こんななのでこれらの本も買って読めるのかという疑問はある。
あきらかに無理は利かなくなりつつある。頭痛はここ数年、「~ねばならない」ストレスを感じることが多くなったからもあろうが、身体が警告を発しているわけで、結構ヤバイ気がする。まずは休養である。
精密とはいえない健康診断では健康のようだったが、そろそろ人間ドックにでもいったほうがよさそうである。
張伝璽(著)『契約史買地券研究』中華書局、2008年8月。
張景明(著)『中国北方遊牧民族飲食文化研究』、2008年1月。
さてまだまだあるが、こんなところにしておこう。
コンピュータ関係の業務にプラスして毎日のように文章を書くのでディスプレイを見るのは避けがたいわけだが、単身赴任ということもあって寝ている時間以外はディスプレイか本ばかりを見ている生活が何年も続いた。最近はディスプレイを見ていると眼が痛くて、ついには頭痛になる。ドライアイではない。眼精疲労である。乱視もかなりすすんだ。
文章が下手だからなのか何十回と校正を繰り返すのは昔からだが、年をとったのにいっこうにおかしな表現や不注意は減らない。ディスプレイにはりつかないといけない時間も減らないので、視力はおちていく。
本への興味はともかく、こんななのでこれらの本も買って読めるのかという疑問はある。
あきらかに無理は利かなくなりつつある。頭痛はここ数年、「~ねばならない」ストレスを感じることが多くなったからもあろうが、身体が警告を発しているわけで、結構ヤバイ気がする。まずは休養である。
精密とはいえない健康診断では健康のようだったが、そろそろ人間ドックにでもいったほうがよさそうである。
新収 北朝研究 ― 2008/09/22 18:31
中国魏晋南北朝史学会・大同平城北朝研究会(編)『北朝研究』第6輯、科学出版社、2008年5月。
論文・書評23点、学会報告1点。力が入っているのはたぶんこの1点。
そのほか墓誌墓葬関係で興味を引く論文がおおい。
劉斌、十六国北朝時期甲騎具装及甲騎具装俑研究
あいかわらず目がいたい。数日、眼や神経を使うことをしないほうがよさそうである。ディスプレイ禁止というのはほとんど何もできないに等しい。ブログ書いてちゃいかんわけだ。
書虫に目次があるのを発見。
http://www.frelax.com/scdb/mulu/3/BCYJ261713c1.html
論文・書評23点、学会報告1点。力が入っているのはたぶんこの1点。
そのほか墓誌墓葬関係で興味を引く論文がおおい。
劉斌、十六国北朝時期甲騎具装及甲騎具装俑研究
あいかわらず目がいたい。数日、眼や神経を使うことをしないほうがよさそうである。ディスプレイ禁止というのはほとんど何もできないに等しい。ブログ書いてちゃいかんわけだ。
書虫に目次があるのを発見。
http://www.frelax.com/scdb/mulu/3/BCYJ261713c1.html
新収 陝北漢代画像石 ― 2008/09/28 22:01
李林・康蘭英・趙力光(編著)『陝北漢代画像石』陝西人民出版社、1995年。
画像石の図録。陝西省北部のほか、一部山西省のものも含む。
たしかに地域性はあり豊かな可能性は感じるが、奇抜なものはそうない。あきらかに制作者たちは「定番」をつくることをこころがけており、製法が画一化しているようにもみえる。そういう中で差異がみつかる点はすでに大概、先学が目につけている。
また、地域性というといかにも学問的だが、なぜそれがそう形作られるか理論立てができるだけの史資料がなければ感覚的な言葉でしかない。資料や図像の解説ならいくらでもできるだろうが、それは研究ではあるまい。さてどうしたら奥行きのある分析が可能か。しばらく先行研究の視点をじっくりみていくしかなさそうだ。
目がしょぼしょぼするのはどうしようもないが、特に新ネタを考えるまでもなくいくらでも書くべきテーマが山のようにある。そこからぼちぼちとすすめよう。
画像石の図録。陝西省北部のほか、一部山西省のものも含む。
たしかに地域性はあり豊かな可能性は感じるが、奇抜なものはそうない。あきらかに制作者たちは「定番」をつくることをこころがけており、製法が画一化しているようにもみえる。そういう中で差異がみつかる点はすでに大概、先学が目につけている。
また、地域性というといかにも学問的だが、なぜそれがそう形作られるか理論立てができるだけの史資料がなければ感覚的な言葉でしかない。資料や図像の解説ならいくらでもできるだろうが、それは研究ではあるまい。さてどうしたら奥行きのある分析が可能か。しばらく先行研究の視点をじっくりみていくしかなさそうだ。
目がしょぼしょぼするのはどうしようもないが、特に新ネタを考えるまでもなくいくらでも書くべきテーマが山のようにある。そこからぼちぼちとすすめよう。