そろそろ再開 ― 2011/04/06 19:32
年度末の原稿締め切りにおわれ、息つく暇もなく、年度末年度初の雑務(研究とは無縁のガテンな作業です)におわれ、そこに地震と原発事故で予定がくるい、連日深夜までの作業となり、更新しておりませんでした。ようやく厚い雲に切れ間が見えてきました。
この間、いただいたもの、購入したもの、たくさんありますので追って更新します。
この間、いただいたもの、購入したもの、たくさんありますので追って更新します。
落胆と慚愧 ― 2011/04/12 19:31
痛ましい震災と津波から1ヶ月が過ぎた。この間、私が住んでいる土地もよく揺れていたから、作業や校正をしながら、テレビをちらっと見ることはいつもより多かった。
ただともかく原発の事故後の過程には、おおいに落胆させられた。私は今に大地震が来ると言われ、しかも近くに原発があった土地に生まれた。また戦後には某事件で被爆した方が出た街でもあったから、こういう事故がありうること、しかもしばらく肝心な情報はでてこないかもしれないという悪夢の怖さは聞かされていたから、それが目の前の現実になったことに肝を冷やした。
数ヶ月前に現場できわめて重大な欠陥がある可能性を看過していたことが指摘されているが、初動ミスがくわわり、あとは時間が過ぎて、そのあとはいきあたりばったりの処置、ついで不的確な情報の流布と恐しいニュースは続いた。
その間、テレビに出ていたそれなりの立場の研究者達の解説はしばしば身内の弁護をしているように聞こえた。また、研究者は証明されていることしか言わない。わからないことはいわない。ともかく「専門的には」安全な仕組みである。または日常のこれこれと比較するとたいしたことはないのである。どうもそうしたいいまわしで危険性をはなから排除しているように感じた。専門家が「専門」を振りかざすとき、それはたいてい他者との会話が面倒か拒絶したいときである。また過度な危険性を感じている者に比喩で安心させるのはひとつの方法だが、全然危険性を知らない者に、はなから安心させるようなことばかりいうのは、だましていることになる。
結局、今日の情報で最初から放射性物質は当初の報告とは比較にならないほど大量に漏れていたことがあきらかになった。安心に決まっていると最初から決めてかかって安心なわけはないが、この数週間の情報はその種の安全神話に依拠した情報とそれにもとづく分析だったことになる。
これがこの国の科学の姿なのか。少なくともその一部には違いない。本当に落胆した。ともかく、これ以上危険なものがひろがらないことを祈りたい。
そしてこの事故が世界を揺るがす一大事になることを当初からわりと的確に推論し説明していたのは研究者の世界では立場の弱い人であったり、フリーの人だったりした。
悲しく、不愉快な一ヶ月だった。今日こそ再開しようと思います。
追記:文部科学省のサイトに情報が集約されていてとてもいい。http://www.mext.go.jp/
また文科省や保安院、各県公表のデータをグラフ化している個人サイトもかなりいい。http://atmc.jp/
情報が公表されていれば恐れることはないのである。
さらに追記(4/30):なんだか、まだまだ恐怖は続くらしい。誰がどのように判断したか根拠不明な基準より、具体的な根拠が示された意見のほうが信用できるのは当然であろう。どうしてこういう物事の決定プロセスになってしまうんだろうか。悲惨である。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html#more
ただともかく原発の事故後の過程には、おおいに落胆させられた。私は今に大地震が来ると言われ、しかも近くに原発があった土地に生まれた。また戦後には某事件で被爆した方が出た街でもあったから、こういう事故がありうること、しかもしばらく肝心な情報はでてこないかもしれないという悪夢の怖さは聞かされていたから、それが目の前の現実になったことに肝を冷やした。
数ヶ月前に現場できわめて重大な欠陥がある可能性を看過していたことが指摘されているが、初動ミスがくわわり、あとは時間が過ぎて、そのあとはいきあたりばったりの処置、ついで不的確な情報の流布と恐しいニュースは続いた。
その間、テレビに出ていたそれなりの立場の研究者達の解説はしばしば身内の弁護をしているように聞こえた。また、研究者は証明されていることしか言わない。わからないことはいわない。ともかく「専門的には」安全な仕組みである。または日常のこれこれと比較するとたいしたことはないのである。どうもそうしたいいまわしで危険性をはなから排除しているように感じた。専門家が「専門」を振りかざすとき、それはたいてい他者との会話が面倒か拒絶したいときである。また過度な危険性を感じている者に比喩で安心させるのはひとつの方法だが、全然危険性を知らない者に、はなから安心させるようなことばかりいうのは、だましていることになる。
結局、今日の情報で最初から放射性物質は当初の報告とは比較にならないほど大量に漏れていたことがあきらかになった。安心に決まっていると最初から決めてかかって安心なわけはないが、この数週間の情報はその種の安全神話に依拠した情報とそれにもとづく分析だったことになる。
これがこの国の科学の姿なのか。少なくともその一部には違いない。本当に落胆した。ともかく、これ以上危険なものがひろがらないことを祈りたい。
そしてこの事故が世界を揺るがす一大事になることを当初からわりと的確に推論し説明していたのは研究者の世界では立場の弱い人であったり、フリーの人だったりした。
悲しく、不愉快な一ヶ月だった。今日こそ再開しようと思います。
追記:文部科学省のサイトに情報が集約されていてとてもいい。http://www.mext.go.jp/
また文科省や保安院、各県公表のデータをグラフ化している個人サイトもかなりいい。http://atmc.jp/
情報が公表されていれば恐れることはないのである。
さらに追記(4/30):なんだか、まだまだ恐怖は続くらしい。誰がどのように判断したか根拠不明な基準より、具体的な根拠が示された意見のほうが信用できるのは当然であろう。どうしてこういう物事の決定プロセスになってしまうんだろうか。悲惨である。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html#more
拝受 敦煌作品研究 創刊号・第二号 ― 2011/04/13 02:08

敦煌作品研究会『敦煌作品研究』 創刊号、2009年4月。
敦煌作品研究会『敦煌作品研究』 第二号、2011年1月。
編集にあたられた中鉢雅量先生からいただいた。ありがとうございました。いただいてから1ヶ月以上が過ぎてしまった。
とくに敦煌文献のうち文学・言語の面に重点がおかれた内容となっている。正字表記をとっているが、このブログでは新字にさせていただいた。
創刊号には論文1点、書評2点、訳注「敦煌歌辞訳注」が掲載されており、第2号には論文2点、書籍紹介1点、書評2点、訳注「敦煌歌辞訳注」が掲載されている。
東方書店などで購入できるようである。
http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=9900008237&bookType=jp
敦煌作品研究会『敦煌作品研究』 第二号、2011年1月。
編集にあたられた中鉢雅量先生からいただいた。ありがとうございました。いただいてから1ヶ月以上が過ぎてしまった。
とくに敦煌文献のうち文学・言語の面に重点がおかれた内容となっている。正字表記をとっているが、このブログでは新字にさせていただいた。
創刊号には論文1点、書評2点、訳注「敦煌歌辞訳注」が掲載されており、第2号には論文2点、書籍紹介1点、書評2点、訳注「敦煌歌辞訳注」が掲載されている。
東方書店などで購入できるようである。
http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=9900008237&bookType=jp
拝受 漢代画像石に見られる禹の図像について 他 ― 2011/04/14 23:59
友田真理、山東・江蘇地域出土漢代画像石の図像と地域性―黄河の治水をめぐって―、『中国史研究』第51冊、2007年12月。
友田真理、漢代画像石に見られる禹の図像について、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第53輯第3分冊、2008年2月。
友田真理、江蘇省徐州市銅山県苗山漢墓墓門画像石再考、『美術史研究』第47冊、2010年1月。
友田真理、胡漢交戦図の分布とその歴史的背景―漢代画像石を中心として―、『中国考古学』第8号、2008年11月。
友田真理、山東省済寧市出土「風伯・胡漢交戦画像石」試釈、『中国出土資料研究』第13号、2009年3月。
友田さんからいただいた。ありがとうございました。いただいて一ヶ月以上がすぎてしまった。
前三点は基本的に「禹」を題材にした画像石の分析を主体としており、後二点は「胡漢交戦図」を中心とした分析である。美術史、中国史、神話学などを縦断する内容となっている。
友田真理、漢代画像石に見られる禹の図像について、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第53輯第3分冊、2008年2月。
友田真理、江蘇省徐州市銅山県苗山漢墓墓門画像石再考、『美術史研究』第47冊、2010年1月。
友田真理、胡漢交戦図の分布とその歴史的背景―漢代画像石を中心として―、『中国考古学』第8号、2008年11月。
友田真理、山東省済寧市出土「風伯・胡漢交戦画像石」試釈、『中国出土資料研究』第13号、2009年3月。
友田さんからいただいた。ありがとうございました。いただいて一ヶ月以上がすぎてしまった。
前三点は基本的に「禹」を題材にした画像石の分析を主体としており、後二点は「胡漢交戦図」を中心とした分析である。美術史、中国史、神話学などを縦断する内容となっている。
拝受 シルクロード東部出土古ウイグル手紙文書の書式(前編) ― 2011/04/18 18:41
森安孝夫、シルクロード東部出土古ウイグル手紙文書の書式(前編)、『大阪大学大学院文学研究科紀要』第51巻、2011年3月。
佐藤先生を通じて森安先生からいただいた。ありがとうございました。いただいて1ヶ月近くが過ぎてしまった。
9~13cの西ウイグル王国の人々とモンゴル帝国支配下の13~14cのウイグル人によって書かれた古ウイグル語の手紙文書の研究の前編。本題である手紙文書の構造や書式の分析に入るまでは分野外のものにも読みやすく書かれており、アプローチ方法は他言語の古文書研究でも参考になる。
佐藤先生を通じて森安先生からいただいた。ありがとうございました。いただいて1ヶ月近くが過ぎてしまった。
9~13cの西ウイグル王国の人々とモンゴル帝国支配下の13~14cのウイグル人によって書かれた古ウイグル語の手紙文書の研究の前編。本題である手紙文書の構造や書式の分析に入るまでは分野外のものにも読みやすく書かれており、アプローチ方法は他言語の古文書研究でも参考になる。
拝受 資料学の方法を探る(10) ― 2011/04/19 18:12
愛媛大学「資料学」研究会(編)『資料学の方法を探る(10) 』、2011年3月。
陳偉、秦簡牘研究の新段階
工藤元男、「秦簡牘研究の新段階」コメント
金慶浩、韓国の木簡研究・現況
金秉駿、「韓国の木簡研究・現況」コメント
平川南、日本古代における文字使用
鈴木景二、日本古代の出土資料、伝世資料と情報伝達
佐藤信、日本古代の出土資料研究の課題
松原弘宣、古代の情報伝達と世論形成
畑野吉則、敦煌懸泉漢簡の郵書記録簡
「資料学」研究会代表の藤田勝久先生から、このプロジェクトの概要書とともにいただいた。ありがとうございました。
陳偉、秦簡牘研究の新段階
工藤元男、「秦簡牘研究の新段階」コメント
金慶浩、韓国の木簡研究・現況
金秉駿、「韓国の木簡研究・現況」コメント
平川南、日本古代における文字使用
鈴木景二、日本古代の出土資料、伝世資料と情報伝達
佐藤信、日本古代の出土資料研究の課題
松原弘宣、古代の情報伝達と世論形成
畑野吉則、敦煌懸泉漢簡の郵書記録簡
「資料学」研究会代表の藤田勝久先生から、このプロジェクトの概要書とともにいただいた。ありがとうございました。
拝受 近代日本 もうひとつの対中政策 ― 2011/04/21 23:41

何為民(著)『近代日本 もうひとつの対中政策』岩田書院、2011年3月。
何さんからいただいた。ありがとうございました。
1868年~1931年の日本の対満蒙意識、対満洲政策について扱っている。
留学してから帰国までの10年以上の苦労と成果が詰まった著作。同時代の分野の専門家がこれをみて何というかは私にはわからないが(少々心配ではある)、よせがきやあとがきからは、この著作がひとりの人間の転回点をしめすものだったとことが感じとれる。
いただいたのは帰国直前、震災の前だった。そのとき「日本は食べ物が安全で空気も綺麗でしたから寿命が延びたかもしれません」といっていたのが一ヶ月くらいしかすぎていないのに懐かしく思い出される。
自費出版でもなく、指導の先生がおしこんだのでもなく、大学の企画ものでも教科書でもない。留学当初在籍していた敬和学園大学有志の先生方の支援で学術出版社から学術書の単著を上梓したのはご本人の人柄によるところが大きいといってよいだろう。その自立性と信用力と遂行力は見事である。
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0001058228
(ジュンク堂へのリンク)
何さんからいただいた。ありがとうございました。
1868年~1931年の日本の対満蒙意識、対満洲政策について扱っている。
留学してから帰国までの10年以上の苦労と成果が詰まった著作。同時代の分野の専門家がこれをみて何というかは私にはわからないが(少々心配ではある)、よせがきやあとがきからは、この著作がひとりの人間の転回点をしめすものだったとことが感じとれる。
いただいたのは帰国直前、震災の前だった。そのとき「日本は食べ物が安全で空気も綺麗でしたから寿命が延びたかもしれません」といっていたのが一ヶ月くらいしかすぎていないのに懐かしく思い出される。
自費出版でもなく、指導の先生がおしこんだのでもなく、大学の企画ものでも教科書でもない。留学当初在籍していた敬和学園大学有志の先生方の支援で学術出版社から学術書の単著を上梓したのはご本人の人柄によるところが大きいといってよいだろう。その自立性と信用力と遂行力は見事である。
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0001058228
(ジュンク堂へのリンク)
拝受 もうひとつの敦煌 ― 2011/04/25 21:22

關尾史郎(著)『もうひとつの敦煌―鎮墓瓶と画像磚の世界』(新大人文叢書7)、高志書院、2011年3月。
關尾先生からいただいた。ありがとうございました。いただいてから一ヶ月近くがすぎてしまった。すでに多くのブログや書店サイトで紹介されている。
序章:敦煌へ
第1章:敦煌の古墳群
第2章:鎮墓瓶
第3章:画像磚
第4章:敦煌社会の成立
終章:敦煌から
詳細な目次はこちら。
http://www.koshi-s.jp/shinkan/1103_5-shinkan.htm
刊行前に原稿を拝読させていただくという光栄をえた。
一般向けというには少々難しい内容だが、關尾先生が切り開きつつある研究テーマの方向性をうかがわせるものとなっている。まだひとつ刊行(?執筆)予定があるご様子である。
關尾先生からいただいた。ありがとうございました。いただいてから一ヶ月近くがすぎてしまった。すでに多くのブログや書店サイトで紹介されている。
序章:敦煌へ
第1章:敦煌の古墳群
第2章:鎮墓瓶
第3章:画像磚
第4章:敦煌社会の成立
終章:敦煌から
詳細な目次はこちら。
http://www.koshi-s.jp/shinkan/1103_5-shinkan.htm
刊行前に原稿を拝読させていただくという光栄をえた。
一般向けというには少々難しい内容だが、關尾先生が切り開きつつある研究テーマの方向性をうかがわせるものとなっている。まだひとつ刊行(?執筆)予定があるご様子である。
拝受 唐宣宗時期的西北辺境政策試析 ― 2011/04/26 18:02
村井恭子、唐宣宗時期的西北辺境政策試析、『唐研究』第16巻、2010年12月。
村井恭子、唐吐蕃回鶻並存時期的西北辺境-以『李良僅墓誌銘』為中心、『文史』2009年第4期号。
村井先生からいただいた。ありがとうございました。応答が遅くなり申し訳ございません。
ともに唐代の西北辺境情勢(とくに唐・吐蕃・回鶻に関わる)を、主に新史料となる墓誌をもちいて分析をくわえたもの。
前者は唐宣宗時期(846~859)、後者は中宗・武后期から文宗期(683~828くらい)が主体になっている。
村井恭子、唐吐蕃回鶻並存時期的西北辺境-以『李良僅墓誌銘』為中心、『文史』2009年第4期号。
村井先生からいただいた。ありがとうございました。応答が遅くなり申し訳ございません。
ともに唐代の西北辺境情勢(とくに唐・吐蕃・回鶻に関わる)を、主に新史料となる墓誌をもちいて分析をくわえたもの。
前者は唐宣宗時期(846~859)、後者は中宗・武后期から文宗期(683~828くらい)が主体になっている。
まだまだいただきものがございます ― 2011/04/29 03:33
掲載が遅れていてすいません。各種締め切りを目の前に息切れしそうなのでマイペースでいきます。