新収 東洋史研究 第70巻2号2011/10/14 23:09

『東洋史研究』第70巻2号、2011年9月。

川本芳昭、北魏内朝再論-比較史の観点から見た
平田陽一郎、西魏北魏の二四軍と府兵制

実に興味深い2本。ただともにわかりやすいかというとそうではない。それでとりあえずざっとよんでみて、あとで読み返すことにしようと思う。誤読していたとしてもこの程度の紹介文としては許していただけるであろうと思いつつ。以下はそのためのメモ。

 前者。北魏の部族解散や内朝の問題について研究史をリードしてきた筆者が近年の「胡漢対立」を相対化しがちな研究動向を批判しつつ、「北魏前期国家と北魏国家とを断絶してとらえることなく、北アジア、東アジア史全体の中で」位置づける方法をあらためて模索したもの。なお前提として北魏前半期を北方的体制、後半期を胡漢融合の度合いの強い中国的中原王朝ととらえている。
 論者がとくに注目しているのは北魏特有の制度である「ケシク的な」内朝制度であり、それが東アジアの諸国家や中国歴代王朝と比較してどのような性格をもつといえるか、倭国と北魏、漢の中朝と北魏の内朝という比較によって、その性格を述べている。

 後者。その時代の史料にはでてこない語彙であるにもかかわらず西魏北周の基盤となる軍事制度とされてきた「府兵制」の虚構性(府兵制はなかった)を明確に指摘。葬りさったうえで、当該時代の軍事制度はどのようなものであったのかを論じる。
 かわりに実態として見えてくる二四軍制は漢人主体でなく、非漢族集団をとりこんでそれを基本単位に成り立ったものであることを史料をあげて述べ、北魏ー西魏・北周の軍事機構の求心的運用が北魏の内官の系譜上にある役職「親信」「庫真」(都督)によって可能となっていたことを指摘、二四軍制とは鮮卑的軍制の上になりたっていたものと論じる。
 またこれまで「府兵制」の兵士の徴発方式の変化(兵民一致⇄兵民分離)を示す史料と理解されてきた隋「開皇十年詔」について、平陳後、流寓の兵戸を関中周辺に帰農させ、一般編戸並みとする「復員令」と解釈し、従来の見方を否定する(!)。
 そのうえで北魏の「部族解散」の史料をあげ、それもまた鮮卑的「復員令」(各部族を戦闘状態から平時にもどす)であり、国を挙げた戦争後においては北魏以前からみられるものであることを先行研究をふまえて述べる。
 つまり、北魏ー隋の軍事制度(前秦あたりを淵源とする)がほとんど同一の構造をなしていることを論証しようとしたことになる。

後者には川本先生の旧論を前提に論じられている部分もあるが、基本的に両論の北朝観は相容れないといってよい。これを後の研究者がどう読むか、実に興味深い1冊となっている。

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