拝受 北周における「稽胡」の創設2009/05/21 17:17

滝川正博 、北周における「稽胡」の創設、『史観』第160冊、2009年3月。

滝川さんからいただいた。ありがとうございました。
『周書』異域伝にみられる異域観の分析などをとおして「稽胡」とよばれた集団がどのように史書に登場するのか、またその実態を究明したもの。史書における夷狄の「創設」という視点は、南方の蛮や日本の蝦夷などの研究とも比較できそうである。

拝受 西魏行台考 ほか2009/05/21 17:23

前島佳孝、西魏行台考、『東洋学報』第90巻第4号、2009年3月。
前島佳孝、「周文王之碑」の試釈と基礎的考察、『档案の世界』(中央大学人文科学研究所研究叢書)、中央大学出版部、2009年3月。

前島さんからいただいた。ありがとうございました。
 前者は北朝史の研究で注目されてきた領域統治機構、行台について、とくに西魏の事例に絞ってその位置づけを再考したもの。後者は建碑者の名を取り「強独楽造像碑」ともよばれる北周・宇文泰の顕彰碑の詳細な訳注。

新収 史学雑誌 第118編第4号2009/05/21 17:37

『史学雑誌』第118編第4号、2009年4月。

 西村陽子、唐末「支謨墓誌銘」と沙陀の動向―9世紀の代北地域―

 2004年に発見された「「支謨墓誌銘」の解読を通して、9世紀末のユーラシア大陸東部において、唐王朝の支配下の遊牧民の中から台頭し、五代に王朝を建設した沙陀突厥の歴史」の再構築をこころみたもの。墓主は月支族の末裔であるが、度支系統の経済官僚でもあったという。また沙陀集団と一体になっていたソグド人についても言及がある。
 なお、沙陀とは新疆ウイグル自治区の付近に居住していた西突厥系の種族で、五代期の後唐、後晋、後漢、後周が沙陀系の王朝とされる。