新収 史学雑誌 第118編第4号 ― 2009/05/21 17:37
『史学雑誌』第118編第4号、2009年4月。
西村陽子、唐末「支謨墓誌銘」と沙陀の動向―9世紀の代北地域―
2004年に発見された「「支謨墓誌銘」の解読を通して、9世紀末のユーラシア大陸東部において、唐王朝の支配下の遊牧民の中から台頭し、五代に王朝を建設した沙陀突厥の歴史」の再構築をこころみたもの。墓主は月支族の末裔であるが、度支系統の経済官僚でもあったという。また沙陀集団と一体になっていたソグド人についても言及がある。
なお、沙陀とは新疆ウイグル自治区の付近に居住していた西突厥系の種族で、五代期の後唐、後晋、後漢、後周が沙陀系の王朝とされる。
西村陽子、唐末「支謨墓誌銘」と沙陀の動向―9世紀の代北地域―
2004年に発見された「「支謨墓誌銘」の解読を通して、9世紀末のユーラシア大陸東部において、唐王朝の支配下の遊牧民の中から台頭し、五代に王朝を建設した沙陀突厥の歴史」の再構築をこころみたもの。墓主は月支族の末裔であるが、度支系統の経済官僚でもあったという。また沙陀集団と一体になっていたソグド人についても言及がある。
なお、沙陀とは新疆ウイグル自治区の付近に居住していた西突厥系の種族で、五代期の後唐、後晋、後漢、後周が沙陀系の王朝とされる。