米沢藩『本草考彙』研究序説2008/07/04 00:11

岩本篤志、米沢藩『本草考彙』研究序説―佐藤中陵と曽槃および好生堂に関する新資料、『新潟史学』59号、2008年6月、34~55頁。

以下、「はじめに」より

 藁科玄隆撰『本草考彙』は李時珍『本草綱目』の分類をもちい、佐藤成裕、曽槃、小野職博の説を中心に整理・考察をくわえた本草書で、藁科が六八才の文政一三年(一八三〇)に米沢で完成した。藁科玄隆は文政八年、米沢藩「本草会」頭取になった人物で、『本草考彙』を好生堂に納める際、他の藩医等がこの書を時の藩主、上杉斉定に褒賞するようすすめた記録で知られてはいたが、本書は藩蔵書の大半を継承したとされる市立米沢図書館には所蔵されておらず、ながいことすでに失われた典籍と考えられていた。

 しかし、前稿で述べたように、文部省は明治四年から九年にかけ、全国の旧藩蔵書を調査したうえで書籍を選んで提出させており、米沢藩の蔵書を継承した置賜県もその対象となった。『本草考彙』はそのひとつに選定されており、明治八年、文部省が旧藩蔵書を交付した東京書籍館のもとへ移籍され、後身の国会図書館へと伝存することになった。来歴の複雑さゆえか、国会図書館の目録と『国書総目録』に著録されるほかは、二〇〇二年刊行の磯野直秀『日本博物誌年表』による簡単な紹介がその内容に言及したはじめてのものと思われる。
(以下略)

本草書と「採薬」の関係を探った論文です。おまえは何、道草くってんだといわれそうですが、道草ではありませんよ。本草です。