新収 『文物』、『西域研究』2011/06/24 19:27

『文物』第2011-1号(総第656期)、文物出版社、2011年。
 韓国河、東漢北魏陵寝制度特徴和地位的検討

『文物』第2011-2号(総第657期)、文物出版社、2011年。
 胡明曌、有関玄武門事変和中外関係的新史料-唐張弼墓誌研究
 甘粛省文物考古研究所、甘粛玉門金鶏梁十六国墓葬発掘簡報
 王策・呉葒、玉門金鶏梁出土的木牘和封検

『文物』第2011-4号(総第659期)、文物出版社、2011年。
 安徽省文物考古研究所、安徽当涂青山六朝墓発掘簡報
 韋正、試談酒泉丁家閘5号墓壁画的時代
 王元林、前涼道符考釈
 王春波、山西安沢県郎寨唐代磚塔
 梁永照、唐劉氏墓誌考
 朱磊、談漢代解注瓶上的北斗与鬼宿

『西域研究』第2011-2号(総第82期)、新疆社会科学院、2011年。
 畢波、隋代大興城的西域胡人及其聚居区的形成
 李翎、“八天神”図像之誤読-関于丹丹烏里克壁画残片的釈読

 文物、2011-2:玉門の墓葬は趙氏家族墓とされ、いずれも文字の入った封検、衣物疏断簡、木牘、磚のほか、あざやかな織物が出土している。木棺蓋には伏羲女媧像があったとされるが本号に写真や分析はない。また何カ所かに紀年があることから十六国墓とされる。
 文物、2011-4:韋正論文は従来、五胡十六国時代後期の墓葬と比定されてきた丁家閘5号墓の年代比定に誤りがある可能性を考古学的な観点から論じる。周辺の高台、酒泉、敦煌周辺墓との比較などをとおし、十六国墓ではなく魏晋墓の可能性があるとみる。紀年のない被葬者無名墓のむずかしいところだが、資料を扱う前提として年代比定にはとくに慎重さを期さねばならない。ただ園田論文への批判は理解できるとしても、同様に陶器から墓葬の編年をおこなった白石氏の論考が参照されていない。(http://iwamoto.asablo.jp/blog/2007/04/16/1411553)。安徽六朝墓は被葬者不明なのが残念だが多数の装飾品が出土している。山西唐代磚塔の建立年代は最も古いと思われる功徳碑碣に書かれた地名から618~758年と推定されている。いまだにこういうものが発見されるのは驚きである。被盗掘の地宮から開元通宝が数枚発見されたという。以上のようにこの号は南北朝隋唐期を研究する者には読みどころ満載である。
 西域研究、2011-2:このほかに乜小紅、張可輝による敦煌吐魯番文書の契約文書に関する論考もある。

 いつもより少し細かくメモをとってみました。
 当時の、もしくは後世の官僚のための記録でもある正史編纂物の論理や官僚の回想に依拠するばかりでなく、発掘報告にあるような個々の新出資料をも史料化し、正史編纂物をそうした史料の一つとして相対化していくことが、歴史叙述を豊かにしていくのではないかとあらためて考えた次第。

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