新収 文物 総第622期 ほか ― 2008/04/24 17:42
文物編輯委員会『文物』 総第622期、2008年3月。
『敦煌研究』 総第107期、2008年第1期
前者。三国、西晋、十六国、唐墓に関する発掘報告、研究がのる。
南京大光路孫呉薛秋墓発掘簡報(三国・呉)
南京将軍山西晋墓発掘簡報(西晋)
南京江寧谷里晋墓発掘簡報(西晋~東晋)
甘粛慶城唐代遊撃将軍穆泰墓(唐)
遼寧北票喇嘛洞十六国墓葬出土鉄甲復原研究(五胡十六国)
孫呉墓からの出土品の木俑と木名刺、それから七星盤(?)はおもしろい。南京の将軍山の西晋墓から出土した画像磚には「太康七年」の紀年があるようだ。穆泰は北朝にも同名の人がいるが別人。副葬品に胡人俑が多数見られる。また陶製の墓誌が見つかっている。
後者。専門誌らしくあいかわらず充実した内容。
敦煌幡的実物分析与研究
唐代敦煌壁画供養人服飾与体型
8至11世紀敦煌僧人従政従軍
吐蕃統治時期敦煌的密教与其信仰之関係
敦煌写巻P.3559研究
(続く。あとで書き込む予定)
ちなみにP.3559は北宗禅の複数の文献が書写されたもので、背面は天宝十載敦煌郡敦煌県差科簿とされている。
**********************
さて、前のエントリにはくだくだとつれづれなることを書いたが、まったく私以外の人にはどうでもいいことである。
時代によって仕事はかわるし、人もかわる。そういうものだろう。
たまにこのサイトを見たけどどうのと言う人もいるが、特定のエントリにコメントできる有効期限は3日くらいだろう。私の細胞の入れ替わりはものすごく早い(忘れっぽいといいかえたほうがよいか)らしく、数日で忘れるからである。今読みかえすと、昨日は著しく睡眠不足だったからなーと言う感じである。明日には二日前にはずいぶん馬鹿馬鹿しいことを書いたなと思っているに違いない。
こんな風なので責任ある発言や人の勉強になるようなことはここに書いたつもりはない。もしブログを読んでる方がいれば、あくまで個人的メモの一部をみているのだということを了承願いたい。
それでもなにか拾うものがありそうなら読んでくれてもよいが、私にはこのブログで人を啓蒙しようとか、影響を与えようとか、どこかの個人や団体を顕彰する気も批判する気もまったくない。自分が所属する世界に対しても、そのつもりである。ただただ忘れっぽすぎる自分のために記録と主観的感想を書き連ねて、後の自分に役立つサイトにしようと思ってるだけである。
念のために書いて置くが、スケジュールは手帳に書いているし、仕事は覚えているのでなんでも忘れてるわけではない。そう言えば、人の名前もよく忘れるが顔は覚えている。この程度でなんとか歴史の論文がかけるのは数十回と文章を書き直し、何度も同じものを読むからであろう。だから早書きはできないのである。
『敦煌研究』 総第107期、2008年第1期
前者。三国、西晋、十六国、唐墓に関する発掘報告、研究がのる。
南京大光路孫呉薛秋墓発掘簡報(三国・呉)
南京将軍山西晋墓発掘簡報(西晋)
南京江寧谷里晋墓発掘簡報(西晋~東晋)
甘粛慶城唐代遊撃将軍穆泰墓(唐)
遼寧北票喇嘛洞十六国墓葬出土鉄甲復原研究(五胡十六国)
孫呉墓からの出土品の木俑と木名刺、それから七星盤(?)はおもしろい。南京の将軍山の西晋墓から出土した画像磚には「太康七年」の紀年があるようだ。穆泰は北朝にも同名の人がいるが別人。副葬品に胡人俑が多数見られる。また陶製の墓誌が見つかっている。
後者。専門誌らしくあいかわらず充実した内容。
敦煌幡的実物分析与研究
唐代敦煌壁画供養人服飾与体型
8至11世紀敦煌僧人従政従軍
吐蕃統治時期敦煌的密教与其信仰之関係
敦煌写巻P.3559研究
(続く。あとで書き込む予定)
ちなみにP.3559は北宗禅の複数の文献が書写されたもので、背面は天宝十載敦煌郡敦煌県差科簿とされている。
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さて、前のエントリにはくだくだとつれづれなることを書いたが、まったく私以外の人にはどうでもいいことである。
時代によって仕事はかわるし、人もかわる。そういうものだろう。
たまにこのサイトを見たけどどうのと言う人もいるが、特定のエントリにコメントできる有効期限は3日くらいだろう。私の細胞の入れ替わりはものすごく早い(忘れっぽいといいかえたほうがよいか)らしく、数日で忘れるからである。今読みかえすと、昨日は著しく睡眠不足だったからなーと言う感じである。明日には二日前にはずいぶん馬鹿馬鹿しいことを書いたなと思っているに違いない。
こんな風なので責任ある発言や人の勉強になるようなことはここに書いたつもりはない。もしブログを読んでる方がいれば、あくまで個人的メモの一部をみているのだということを了承願いたい。
それでもなにか拾うものがありそうなら読んでくれてもよいが、私にはこのブログで人を啓蒙しようとか、影響を与えようとか、どこかの個人や団体を顕彰する気も批判する気もまったくない。自分が所属する世界に対しても、そのつもりである。ただただ忘れっぽすぎる自分のために記録と主観的感想を書き連ねて、後の自分に役立つサイトにしようと思ってるだけである。
念のために書いて置くが、スケジュールは手帳に書いているし、仕事は覚えているのでなんでも忘れてるわけではない。そう言えば、人の名前もよく忘れるが顔は覚えている。この程度でなんとか歴史の論文がかけるのは数十回と文章を書き直し、何度も同じものを読むからであろう。だから早書きはできないのである。