新収 東アジアの死刑 ― 2008/04/16 19:36
冨谷至(編)『東アジアの死刑』、京都大学学術出版会、2008年2月。
中国の漢代から現代にいたるまでの死刑観や法律の規定、中国以外の東アジアに誕生した諸政権下におけるそれが論じられる。執筆者13名。
中国の漢代から現代にいたるまでの死刑観や法律の規定、中国以外の東アジアに誕生した諸政権下におけるそれが論じられる。執筆者13名。
新収 唐の監牧制と中国在住ソグド人の牧馬 ― 2008/04/21 21:47
山下将司、唐の監牧制と中国在住ソグド人の牧馬、『東洋史研究』第66巻第4号、2008年。
鈴木宏節、突厥可汗国の建国と王統観、『東方学』第115輯、2008年。
斉藤勝、唐代内附異民族への賦役規定と辺境社会、『史学雑誌』第117編第3号、2008年。
まともなコメントがかけずに自分の非力さを感じるが、あとで研究史をふりかえると2008年はなんかすごい年になるような気にさせる三本。確実になにかが変わりつつある。
鈴木宏節、突厥可汗国の建国と王統観、『東方学』第115輯、2008年。
斉藤勝、唐代内附異民族への賦役規定と辺境社会、『史学雑誌』第117編第3号、2008年。
まともなコメントがかけずに自分の非力さを感じるが、あとで研究史をふりかえると2008年はなんかすごい年になるような気にさせる三本。確実になにかが変わりつつある。
新収 書評・丸橋充拓著『唐代北辺財政の研究』 ― 2008/04/21 21:58
高瀬奈津子、書評・丸橋充拓著『唐代北辺財政の研究』、『東洋史研究』第66巻第4号、2008年。
力のこもった書評。
力のこもった書評。
新収 月舟寿桂講『山谷幻雲抄』 他 ― 2008/04/21 22:02
根ヶ山徹、月舟寿桂講『山谷幻雲抄』、『東方学』第115輯、2008年。
河野貴美子、域外漢籍研究国際学術研討会、『東方学』第115輯、2008年。
古賀登、日比野丈夫先生を偲んで、『東方学』第115輯、2008年。
あいかわらず、どんどん読むべきものがたまっていく。
職務柄、漢文を読むよりもPCをいじる時間が多いわけだが、数年来、
ためにためた廃棄すべき機器類をここ数日で一挙に解体・処分し、部屋の整理をすすめた。貧乏性なのでLC630などというものまで(以下・・・)保持していたわけだが、スペース確保と需要のバランスから決断した。
おかげで当面、本をおくスペースが若干確保できたが、2ヶ月もすればまた置くところに困るのだろう。
河野貴美子、域外漢籍研究国際学術研討会、『東方学』第115輯、2008年。
古賀登、日比野丈夫先生を偲んで、『東方学』第115輯、2008年。
あいかわらず、どんどん読むべきものがたまっていく。
職務柄、漢文を読むよりもPCをいじる時間が多いわけだが、数年来、
ためにためた廃棄すべき機器類をここ数日で一挙に解体・処分し、部屋の整理をすすめた。貧乏性なのでLC630などというものまで(以下・・・)保持していたわけだが、スペース確保と需要のバランスから決断した。
おかげで当面、本をおくスペースが若干確保できたが、2ヶ月もすればまた置くところに困るのだろう。
技術と人間 ― 2008/04/23 02:43
勤務先で専門の講義ももつようになったが、院生のコンピュータ環境の整備を職務のひとつとしてきたので、しばしばコンピュータに関わる相談を受ける。
実際、この8年間でたぶん直接みたPCだけで500台以上(所有者400人分以上)、またさまざまなOS、 何ヶ国もの人のコンピュータの利用の仕方をみることになったので、経験はずいぶん積ませてもらった。
コンピュータの利用形態は人や分野によってさまざまである。大体、この種の個々の問題に対処できるのは経験的な知識と洞察力であって、その人や私がコンピュータ専門(といってもWindowsアーキテクチャを学ぶなんて学問分野にならないでしょう)かどうかということは無関係である。実際のところ、コンピュータといえば理系の人に・・・とステレオタイプな主張をする人は権威主義的な傾向を持ち、人を使いたがる(理系の人は注意してください)。
しかし、この手の知識は経験的なものだからこそ、Web上に解決方法がかなり蓄積されている。だから極力、自分で対処しようと努力する人も少なくない。まずはそうあってほしい。
様々な問題がもちこまれてくるが、たいていの場合、問題は利用者の性向や過度な期待か情報不足に起因する。これは私自身の環境でトラブルが起きた場合にもあてはまることで、その意味でコンピュータに関するトラブルは利用者自身の姿をうつす。つまりほとんどの場合は利用者の視線をたどることで解決できる。
OSについていえば、Macはもともとそれなりに安定していたし、Windowsについても、2000以降は成熟したレベルに到達している。たまに問題がないわけではないが、適切なメンテをしていればトラブルはまれである。パーツは何年かにいっぺん、新プロセッサの登場による革新の波がくるにはくるが、Windows95(DOS/Vからか)以降、構成があまりかわらないといえば変わってないし、Macの中身もそうかわらない。ただ壊れた部品を特定するのに場合によって時間がかかるだけのことで何も難しいことはない。
また物理や数学専攻でもないのに、Wordは洗練されてないと思うのでLaTexがどうのとか、Windowsは素人っぽいのでLinuxを使っているのだがcronがどうの質問してくる人は技術談義がしたいか、私を試験したい人である。例外なく問題を自分で解決する能力を持っているので、必要なのは話につきあうことである。まあチャレンジ精神は結構である。
ところで、こうした職務をオフィスアワーを限って学生に対処すればよいなどという人がいる。しかし内容上、全くナンセンスである。ほとんどはノウハウの伝達ではなく、機械や利用方法をのぞき込む診療みたいなものだからである。
ちなみに、私は昨日3人の教員の相談をうけ、学生のコンピュータ5台分の設定にかかわった。かりに相談時間を3時間に限ったとしよう。そうしたら、教員1名と学生1人にしか対応できなかったであろう。ひとつの問題で5時間があっという間に吹き飛ぶ場合も少なくないが、時間を限ったら、それは対応不能である。
しかも問題は個別であり、個々人にとっては緊急である。これらに対応することで私の時間は予定も組めず細切れになるわけだが、問題をかかえている人からしてみれば「コンピュータの調子が悪いという稀なときしか仕事しない(と見える)」私が自分が困った時だけは対応してくれないと映る。だからこそオンデマンドで対応しないわけにいかない。
学生によっては「先生(教員)ですか?(それとも事務職員ですか)」と質問してくるが、それが私の仕事の実態である。はっきりいってどっちでもいい。
私はそういう職務だと理解して赴任したし、それに適応できるよう努力してきた。だから愚痴を書いているわけではない。
教員の「研究」と「教育」によってのみ、組織がなりたっているわけでなく、その下に必ずしもクリエイティブとはいえない対人間の厄介な作業に従事する者達がいてようやく組織が動いている。その視点を実感として得ることができたのは幸運であった気がする。
以前、200人規模の講義を2年持ったことがあった。採点とかレポートを出すと実に大変なことになる。しかし、教員は基本的に伝達事項は教壇から学生につたえ、質問は挙手させればそれで済む。
事務系職員にそういう場はない。それでもそれ以上の数の学生に個々に状況を聞いて対応せねばならない者たちがいるのである。
実際、この8年間でたぶん直接みたPCだけで500台以上(所有者400人分以上)、またさまざまなOS、 何ヶ国もの人のコンピュータの利用の仕方をみることになったので、経験はずいぶん積ませてもらった。
コンピュータの利用形態は人や分野によってさまざまである。大体、この種の個々の問題に対処できるのは経験的な知識と洞察力であって、その人や私がコンピュータ専門(といってもWindowsアーキテクチャを学ぶなんて学問分野にならないでしょう)かどうかということは無関係である。実際のところ、コンピュータといえば理系の人に・・・とステレオタイプな主張をする人は権威主義的な傾向を持ち、人を使いたがる(理系の人は注意してください)。
しかし、この手の知識は経験的なものだからこそ、Web上に解決方法がかなり蓄積されている。だから極力、自分で対処しようと努力する人も少なくない。まずはそうあってほしい。
様々な問題がもちこまれてくるが、たいていの場合、問題は利用者の性向や過度な期待か情報不足に起因する。これは私自身の環境でトラブルが起きた場合にもあてはまることで、その意味でコンピュータに関するトラブルは利用者自身の姿をうつす。つまりほとんどの場合は利用者の視線をたどることで解決できる。
OSについていえば、Macはもともとそれなりに安定していたし、Windowsについても、2000以降は成熟したレベルに到達している。たまに問題がないわけではないが、適切なメンテをしていればトラブルはまれである。パーツは何年かにいっぺん、新プロセッサの登場による革新の波がくるにはくるが、Windows95(DOS/Vからか)以降、構成があまりかわらないといえば変わってないし、Macの中身もそうかわらない。ただ壊れた部品を特定するのに場合によって時間がかかるだけのことで何も難しいことはない。
また物理や数学専攻でもないのに、Wordは洗練されてないと思うのでLaTexがどうのとか、Windowsは素人っぽいのでLinuxを使っているのだがcronがどうの質問してくる人は技術談義がしたいか、私を試験したい人である。例外なく問題を自分で解決する能力を持っているので、必要なのは話につきあうことである。まあチャレンジ精神は結構である。
ところで、こうした職務をオフィスアワーを限って学生に対処すればよいなどという人がいる。しかし内容上、全くナンセンスである。ほとんどはノウハウの伝達ではなく、機械や利用方法をのぞき込む診療みたいなものだからである。
ちなみに、私は昨日3人の教員の相談をうけ、学生のコンピュータ5台分の設定にかかわった。かりに相談時間を3時間に限ったとしよう。そうしたら、教員1名と学生1人にしか対応できなかったであろう。ひとつの問題で5時間があっという間に吹き飛ぶ場合も少なくないが、時間を限ったら、それは対応不能である。
しかも問題は個別であり、個々人にとっては緊急である。これらに対応することで私の時間は予定も組めず細切れになるわけだが、問題をかかえている人からしてみれば「コンピュータの調子が悪いという稀なときしか仕事しない(と見える)」私が自分が困った時だけは対応してくれないと映る。だからこそオンデマンドで対応しないわけにいかない。
学生によっては「先生(教員)ですか?(それとも事務職員ですか)」と質問してくるが、それが私の仕事の実態である。はっきりいってどっちでもいい。
私はそういう職務だと理解して赴任したし、それに適応できるよう努力してきた。だから愚痴を書いているわけではない。
教員の「研究」と「教育」によってのみ、組織がなりたっているわけでなく、その下に必ずしもクリエイティブとはいえない対人間の厄介な作業に従事する者達がいてようやく組織が動いている。その視点を実感として得ることができたのは幸運であった気がする。
以前、200人規模の講義を2年持ったことがあった。採点とかレポートを出すと実に大変なことになる。しかし、教員は基本的に伝達事項は教壇から学生につたえ、質問は挙手させればそれで済む。
事務系職員にそういう場はない。それでもそれ以上の数の学生に個々に状況を聞いて対応せねばならない者たちがいるのである。
新収 文物 総第622期 ほか ― 2008/04/24 17:42
文物編輯委員会『文物』 総第622期、2008年3月。
『敦煌研究』 総第107期、2008年第1期
前者。三国、西晋、十六国、唐墓に関する発掘報告、研究がのる。
南京大光路孫呉薛秋墓発掘簡報(三国・呉)
南京将軍山西晋墓発掘簡報(西晋)
南京江寧谷里晋墓発掘簡報(西晋~東晋)
甘粛慶城唐代遊撃将軍穆泰墓(唐)
遼寧北票喇嘛洞十六国墓葬出土鉄甲復原研究(五胡十六国)
孫呉墓からの出土品の木俑と木名刺、それから七星盤(?)はおもしろい。南京の将軍山の西晋墓から出土した画像磚には「太康七年」の紀年があるようだ。穆泰は北朝にも同名の人がいるが別人。副葬品に胡人俑が多数見られる。また陶製の墓誌が見つかっている。
後者。専門誌らしくあいかわらず充実した内容。
敦煌幡的実物分析与研究
唐代敦煌壁画供養人服飾与体型
8至11世紀敦煌僧人従政従軍
吐蕃統治時期敦煌的密教与其信仰之関係
敦煌写巻P.3559研究
(続く。あとで書き込む予定)
ちなみにP.3559は北宗禅の複数の文献が書写されたもので、背面は天宝十載敦煌郡敦煌県差科簿とされている。
**********************
さて、前のエントリにはくだくだとつれづれなることを書いたが、まったく私以外の人にはどうでもいいことである。
時代によって仕事はかわるし、人もかわる。そういうものだろう。
たまにこのサイトを見たけどどうのと言う人もいるが、特定のエントリにコメントできる有効期限は3日くらいだろう。私の細胞の入れ替わりはものすごく早い(忘れっぽいといいかえたほうがよいか)らしく、数日で忘れるからである。今読みかえすと、昨日は著しく睡眠不足だったからなーと言う感じである。明日には二日前にはずいぶん馬鹿馬鹿しいことを書いたなと思っているに違いない。
こんな風なので責任ある発言や人の勉強になるようなことはここに書いたつもりはない。もしブログを読んでる方がいれば、あくまで個人的メモの一部をみているのだということを了承願いたい。
それでもなにか拾うものがありそうなら読んでくれてもよいが、私にはこのブログで人を啓蒙しようとか、影響を与えようとか、どこかの個人や団体を顕彰する気も批判する気もまったくない。自分が所属する世界に対しても、そのつもりである。ただただ忘れっぽすぎる自分のために記録と主観的感想を書き連ねて、後の自分に役立つサイトにしようと思ってるだけである。
念のために書いて置くが、スケジュールは手帳に書いているし、仕事は覚えているのでなんでも忘れてるわけではない。そう言えば、人の名前もよく忘れるが顔は覚えている。この程度でなんとか歴史の論文がかけるのは数十回と文章を書き直し、何度も同じものを読むからであろう。だから早書きはできないのである。
『敦煌研究』 総第107期、2008年第1期
前者。三国、西晋、十六国、唐墓に関する発掘報告、研究がのる。
南京大光路孫呉薛秋墓発掘簡報(三国・呉)
南京将軍山西晋墓発掘簡報(西晋)
南京江寧谷里晋墓発掘簡報(西晋~東晋)
甘粛慶城唐代遊撃将軍穆泰墓(唐)
遼寧北票喇嘛洞十六国墓葬出土鉄甲復原研究(五胡十六国)
孫呉墓からの出土品の木俑と木名刺、それから七星盤(?)はおもしろい。南京の将軍山の西晋墓から出土した画像磚には「太康七年」の紀年があるようだ。穆泰は北朝にも同名の人がいるが別人。副葬品に胡人俑が多数見られる。また陶製の墓誌が見つかっている。
後者。専門誌らしくあいかわらず充実した内容。
敦煌幡的実物分析与研究
唐代敦煌壁画供養人服飾与体型
8至11世紀敦煌僧人従政従軍
吐蕃統治時期敦煌的密教与其信仰之関係
敦煌写巻P.3559研究
(続く。あとで書き込む予定)
ちなみにP.3559は北宗禅の複数の文献が書写されたもので、背面は天宝十載敦煌郡敦煌県差科簿とされている。
**********************
さて、前のエントリにはくだくだとつれづれなることを書いたが、まったく私以外の人にはどうでもいいことである。
時代によって仕事はかわるし、人もかわる。そういうものだろう。
たまにこのサイトを見たけどどうのと言う人もいるが、特定のエントリにコメントできる有効期限は3日くらいだろう。私の細胞の入れ替わりはものすごく早い(忘れっぽいといいかえたほうがよいか)らしく、数日で忘れるからである。今読みかえすと、昨日は著しく睡眠不足だったからなーと言う感じである。明日には二日前にはずいぶん馬鹿馬鹿しいことを書いたなと思っているに違いない。
こんな風なので責任ある発言や人の勉強になるようなことはここに書いたつもりはない。もしブログを読んでる方がいれば、あくまで個人的メモの一部をみているのだということを了承願いたい。
それでもなにか拾うものがありそうなら読んでくれてもよいが、私にはこのブログで人を啓蒙しようとか、影響を与えようとか、どこかの個人や団体を顕彰する気も批判する気もまったくない。自分が所属する世界に対しても、そのつもりである。ただただ忘れっぽすぎる自分のために記録と主観的感想を書き連ねて、後の自分に役立つサイトにしようと思ってるだけである。
念のために書いて置くが、スケジュールは手帳に書いているし、仕事は覚えているのでなんでも忘れてるわけではない。そう言えば、人の名前もよく忘れるが顔は覚えている。この程度でなんとか歴史の論文がかけるのは数十回と文章を書き直し、何度も同じものを読むからであろう。だから早書きはできないのである。
新収 複印報刊資料 魏晋南北朝隋唐史 2008年第2期 ― 2008/04/28 17:23
『複印報刊資料・魏晋南北朝隋唐史』2008年第2期、中国人民大学書報資料中心。
顧江龍、両晋南北朝与隋唐官僚特権之比較
張元興、近二十余年魏晋南北朝少数民族与漢族交融史研究綜述
陳磊、唐代皇帝的出生、即位和死亡地点考析
劉再聡、唐朝“村正”考
肖建楽、唐代後期市民階層的形成
尚永亮、唐五代貶官之時空分布的定量分析
李方、唐代西域的貶謫官吏
努尔蘭·肯加哈買提、碎葉出土唐代碑銘及其相関問題
孟憲実・栄新江、吐魯番学研究:回顧与展望
この号に掲載された全論文の著者、タイトル名。
顧江龍、両晋南北朝与隋唐官僚特権之比較
張元興、近二十余年魏晋南北朝少数民族与漢族交融史研究綜述
陳磊、唐代皇帝的出生、即位和死亡地点考析
劉再聡、唐朝“村正”考
肖建楽、唐代後期市民階層的形成
尚永亮、唐五代貶官之時空分布的定量分析
李方、唐代西域的貶謫官吏
努尔蘭·肯加哈買提、碎葉出土唐代碑銘及其相関問題
孟憲実・栄新江、吐魯番学研究:回顧与展望
この号に掲載された全論文の著者、タイトル名。
新収 唐研究 第13巻 ― 2008/04/28 18:17
栄新江(主編)『唐研究』第13巻、北京大学出版社、2007年12月。
“従漢魏到隋唐:変遷与延続研究専号”という特集号になっている。
特集名をみてのとおりの内容なので、収録されているどの論文名もここにあげておくことにしたい。(おって入力していく)
“従漢魏到隋唐:変遷与延続研究専号”という特集号になっている。
特集名をみてのとおりの内容なので、収録されているどの論文名もここにあげておくことにしたい。(おって入力していく)