拝受 盧思道と「周斉興亡論」について2011/07/05 17:43

稲住哲朗、盧思道と「周斉興亡論」について、『九州大学東洋史論集』第39号、2011年4月。

 稲住さんからいただいた。ありがとうございました。
 日本の北朝史研究ではあまりもちいられてこなかった隋・盧思道「周斉興亡論」とその意義を隋唐政権内における北斉系士人の位置づけからとくに論じようとしたもの。
 以前、自分がこの史料に目をとおした際、『北斉書』やその論贊ほどにも洗練されておらず、目新しい記事もないという印象があったので、(同号に掲載された岡田さんの抜き刷りの表紙にあった)タイトルをみたときどう利用したのかが気になっていた。これまでコメントを求められても、せいぜい拙稿のような先行研究の論法に振り回されないように伝えたくらいで、はっきりしたことを言わないできたが、「未完」の自説の杜撰さは棚にあげて率直に短評してみる。

 まず「はじめに」でも「おわりに」でも何度も「ただし(しかし)」書きがあり、史料をどう扱うか迷っているようにみえた。史料分析部分は比較的明晰だが、その中身は拙稿「斉俗」や「徐顕秀墓」で論じた『北斉書』とさほどかわらず、唐代の私撰である『北史』までの史書雑史を視野に入れれば北斉の史料としてはやはりこれといった記事がないという印象をうけてしまった。
 結論では本稿は「盧思道というこの時代を生きた一個人」の視点をあきらかにしたものにすぎないとしつつも、そこに他の北斉系士人に共通した「平穏な時代の到来を歓迎する側面」をみいだす。そしてそれを陳寅恪による北朝隋唐史論(旧北斉系士人の不満を隋末の反乱に関連づけた)の一部への反証のひとつとみる。ただ、それではこの史料は新しい史実や新視角を示す根拠というより、陳氏が構築した「北朝隋唐史」枠に一部修正を迫る(かもしれない)程度の位置づけになってしまうわけだが、それでよいのだろうか。
 また、冒頭でも最後でも陳寅恪説を批判対象にとりあげるが、その現代的な意義(たとえば現在の概説書の歴史叙述にどの程度利用されているかなど)はふれられておらず、そもそも本稿の論点はその全体に迫るものでもない。つまり論者の史料の選択眼や分析が論に活かされていないように読んだ。そうした違和感は次稿に予定している「關隴集団説と周隋革命」で解消されるのだろうか。

 『九大東洋史論集』第39号は北斉政権論が二本掲載されており、光栄にも抜き刷りもともに送っていただいて興味深く拝読した。
 どちらかといえば岡田さんの捉え方にやや現代的な視点を感じたが、ともに現在の史料環境やそれに応じて変化しつつある隋唐史研究の到達点とも問題点とも無関係におもえたことが残念に思われた。またともに北斉政権とそれにつらなる人脈の叙述如何で政権の性格(または「国家」?の性格)がみいだせると考えているようだが、その視点自体、根本から考え直してみる必要があるように思う。
 そして以上の言は自身にも返ってくるものでもある。

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