新収 唐代官修史籍考 ほか ― 2011/07/13 18:56
杜希徳(著)黄宝華(訳)『唐代官修史籍考』上海古籍出版社、2010年11月。
余嘉錫(著)『漢魏両晋南北朝史叢考』国家図書館出版社、2010年12月。
前者はDenis C.Twitchett,"The Writing of Official History under the Tang"、1992年の翻訳。後者は巻頭におさめられた『太史公書』亡篇考など、おもしろい考証モノを含む。
このジャンルの書籍をみるといろいろ思い起こすことがある。
自分は一応南北朝仏教史を専門のひとつとしていた先生のもとで卒論を書き、大学院の指導教員のもとで出土資料文献の研究にふれると同時に、内陸アジア史に視野をむける重要性を知り、平行して4年間、目録学の授業(出身大学院ではその短期間にしか存在しない授業であったと思う)を受けた。『史記會注考證』を読む研究会には学部生時代から関東を離れるまで都合10年くらいいた。北朝政治史で修論を書こうとしていた(書いた)自分にとって、目録学や『史記』がどう役立つのかは深く考えないでいたが、要領がよいわけでもたいして優秀でもないので研究発表や読み手になるたびに冷や汗をかくことになった。そしてその後まもなく性懲りもなく全く性格の異なる学内外3,4つの小研究会に同時に属した。
今振り返れば、そうしたあれこれがないまぜになって興味のもとをつくり、(傍目にわかりにくい)現在につながったのだと思う。またそれらを自分の中で消化していくことに著しく時間がかかった(かかっている)のだと思う。
最初に手がけた論文の分野は北朝史だったが、その場には先達はいてもそればかりをやっている専家がいたわけではなく、その後に展開する中国医術史の専家も身近にはいなかった。ただいずれの先生も一口で言い表せる時代の専家ではなかったから、むしろ単一時代単一分野にしぼらないで、常識ではつながらないものをつないでいくことが自分の環境にかなった考え方であると思って今に至った。
前者は原書1992年、後者は1963年刊行であるから、いずれもその頃でも入手可能だったし、ともに同著者の別の著書か論文をかじっていたはずだが、この二冊は読んだ記憶はない。
拾い読みをしつつ、初心をおもいおこし、再度自分が眼を向けてきた分野を見つめ直してみることにしたい。
余嘉錫(著)『漢魏両晋南北朝史叢考』国家図書館出版社、2010年12月。
前者はDenis C.Twitchett,"The Writing of Official History under the Tang"、1992年の翻訳。後者は巻頭におさめられた『太史公書』亡篇考など、おもしろい考証モノを含む。
このジャンルの書籍をみるといろいろ思い起こすことがある。
自分は一応南北朝仏教史を専門のひとつとしていた先生のもとで卒論を書き、大学院の指導教員のもとで出土資料文献の研究にふれると同時に、内陸アジア史に視野をむける重要性を知り、平行して4年間、目録学の授業(出身大学院ではその短期間にしか存在しない授業であったと思う)を受けた。『史記會注考證』を読む研究会には学部生時代から関東を離れるまで都合10年くらいいた。北朝政治史で修論を書こうとしていた(書いた)自分にとって、目録学や『史記』がどう役立つのかは深く考えないでいたが、要領がよいわけでもたいして優秀でもないので研究発表や読み手になるたびに冷や汗をかくことになった。そしてその後まもなく性懲りもなく全く性格の異なる学内外3,4つの小研究会に同時に属した。
今振り返れば、そうしたあれこれがないまぜになって興味のもとをつくり、(傍目にわかりにくい)現在につながったのだと思う。またそれらを自分の中で消化していくことに著しく時間がかかった(かかっている)のだと思う。
最初に手がけた論文の分野は北朝史だったが、その場には先達はいてもそればかりをやっている専家がいたわけではなく、その後に展開する中国医術史の専家も身近にはいなかった。ただいずれの先生も一口で言い表せる時代の専家ではなかったから、むしろ単一時代単一分野にしぼらないで、常識ではつながらないものをつないでいくことが自分の環境にかなった考え方であると思って今に至った。
前者は原書1992年、後者は1963年刊行であるから、いずれもその頃でも入手可能だったし、ともに同著者の別の著書か論文をかじっていたはずだが、この二冊は読んだ記憶はない。
拾い読みをしつつ、初心をおもいおこし、再度自分が眼を向けてきた分野を見つめ直してみることにしたい。