紹介 越後の大名 展覧会 ― 2011/07/14 00:14

ここ10年にみたうちでずばぬけて格好のいいポスターデザインだと勝手に思ったので、例外的にアップしてみた。
夏季企画展「越後の大名」
2011年7月30日(土)~9月11日(日)
新潟県立歴史博物館
http://www.nbz.or.jp/jp/index.html
単に鎧から個人的に連想することで全然関係ない話だが、自分が正史を用いて書いた論文の抜き刷りを日本中世史専攻の友人に渡したところ、六国史のような正史中心で書いた論文に意味があるのかといわれ、愕然とした記憶がある。中国古代史は基本的に正史編纂史料の背景まで読み込み、雑史もまじえて多角的に論証するもので、日本とは識字層や史館(官)制度、残された史料の字数にも著しく差があると応酬したものの、「後世に記録として残すことを意図していない史料を読み込むことではじめて可能になる歴史叙述」が成り立ちうるのは当然で、それが彼が属する世界の「常識」で、自分は異なる「常識」の中にいたわけである。
そして何十年後かに同じ日本中世史分野の著名な先生にあなたの専門とする時代に貴族でも豪族でも土地の有力者でもなく、過酷な状況から逃げてでも生き延びようとした「名前さえ残らないような人たち」に関する史料はないかといわれ、かんがえさせられることがあった。この先生はそういう人たちの生命力みたいなのをうまく描きだすのだが、私には思うような史料は提供できなかった。たしかに両国間で伝存した史料には歴然とした性格の差がある。「中世」とかいったって800年以上離れているわけだ。ただそういってしまえばそれまでではある。
ともかく自分のいる世界の「常識」はいつもうたがってみたほうがおもしろいものがみえてくるのだと思っている。
夏季企画展「越後の大名」
2011年7月30日(土)~9月11日(日)
新潟県立歴史博物館
http://www.nbz.or.jp/jp/index.html
単に鎧から個人的に連想することで全然関係ない話だが、自分が正史を用いて書いた論文の抜き刷りを日本中世史専攻の友人に渡したところ、六国史のような正史中心で書いた論文に意味があるのかといわれ、愕然とした記憶がある。中国古代史は基本的に正史編纂史料の背景まで読み込み、雑史もまじえて多角的に論証するもので、日本とは識字層や史館(官)制度、残された史料の字数にも著しく差があると応酬したものの、「後世に記録として残すことを意図していない史料を読み込むことではじめて可能になる歴史叙述」が成り立ちうるのは当然で、それが彼が属する世界の「常識」で、自分は異なる「常識」の中にいたわけである。
そして何十年後かに同じ日本中世史分野の著名な先生にあなたの専門とする時代に貴族でも豪族でも土地の有力者でもなく、過酷な状況から逃げてでも生き延びようとした「名前さえ残らないような人たち」に関する史料はないかといわれ、かんがえさせられることがあった。この先生はそういう人たちの生命力みたいなのをうまく描きだすのだが、私には思うような史料は提供できなかった。たしかに両国間で伝存した史料には歴然とした性格の差がある。「中世」とかいったって800年以上離れているわけだ。ただそういってしまえばそれまでではある。
ともかく自分のいる世界の「常識」はいつもうたがってみたほうがおもしろいものがみえてくるのだと思っている。