拝受 洛陽学国際シンポジウム報告論文集 ほか2011/07/25 19:07

氣賀澤保規(編)『洛陽学国際シンポジウム報告論文集』明治大学文学研究科・石刻文物研究所

明治大学石刻文物研究所『東アジア石刻研究』第2号、2010年3月。
明治大学石刻文物研究所『東アジア石刻研究』第3号、2010年3月。

先日、『東アジア石刻研究』第3号をいただいたばかりなのだが、重ねてご恵与いただいた。関連分野の研究者に広く郵送された様子である。勉強させていただきます。ありがとうございました。

『東アジア石刻研究』第2号ははじめていただいたかと思う。目次はこちら
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ishiken/researches/periodical.html

 窪添論文が扱う李延齢墓誌は偽刻の可能性があるという。ではこのように官歴や讃文などにあまり不審な点がみあたらない石刻資料の真偽をどのようにみわけることが可能なのか。参考文献をよんでいけばわかるのだろうか。また、氣賀澤論文がとりあげる石刻時地記のような記録(第2第3の郭玉堂による)が後世見つかるとおもしろい。ただ当然ながら、正式な発掘報告がなされる前に墓誌が盗掘売買されないのが最も良い。

 最初に紹介した『洛陽学・・』はシンポジウム報告集。日本国内の研究会活動情報も収集している北京大学中国古代史研究中心がその時の案内を記録しておられるので、リンクをはっておく。
http://www.zggds.pku.edu.cn/005/001/116.pdf

拝受 新出北朝隋代墓誌所在総合目録(2006-2010年) ほか2011/07/26 17:30

梶山智史、新出北朝隋代墓誌所在総合目録(2006-2010年)、『東アジア石刻研究』第3号、2011年3月
梶山智史、(書評)高橋継男編『中国石刻関係図書目録(1949-2007)』、『唐代史研究』第13号、2010年8月
張金龍(著)梶山智史(訳)、北魏の狩猟図とその淵源、『明大アジア史論集』第14号、2010年3月。

梶山さんからいただいた。ありがとうございました。
 新出北朝隋代墓誌所在総合目録は氣賀澤(編)『唐代墓誌・・』の姉妹編にあたり、本誌第1号に掲載された目録の続編。356方の情報を載せる。
 この目録を見ただけでもわかるが、歴代の金石録に載っている以外、ここ20年ほどに発見された墓誌に限っても相当な数で、特に近年その増加は著しい。
 正史に名が見えるものの立伝されていない重要人物や、史書に記載のない墓主名に絞った場合でも、各王朝いずれでも、外伝2,3冊分をこえる字数の史料が増えているといってよい。唐代にいたっては閲覧しきれないほどの量である。なお、北朝の墓誌資料には当然、南朝諸政権(特に梁陳)との関係を考えるさいに有効な記事がままみられるし、唐代墓誌にも南北朝期を考える手がかりがみられる。
 張金龍論文は大同、固原、ホリンゴル、盛楽などから発見された壁画、棺板画に描かれた北魏期の狩猟図について論じたもの。ササン朝ペルシアの狩猟図の影響より、漢の画像石や魏晋の壁画墓とのつながりが強いものとみる。

新収 新潟史学 第65号2011/07/29 17:24

『新潟史学』第65号、2011年5月。

斎藤瑞穂、佐渡・岩屋山洞窟の宝筐印塔と中世の北東日本海物流
高橋秀樹、胡人像尖帽の起源―丁家閘五号墓壁画胡人像解析のために
桑原正史、柴原偕伎日の表記とヨミについて―栗原遺跡出土の墨書土器の人名

他、資料紹介1点、書評1点が載る。

斎藤論文は佐渡・宿根木近くの岩屋山洞窟で発見された14~15世紀の宝筐印塔が関西形式のものであったことに注目し、他地域のものと比較、その造立の背景をさぐる。高橋論文はモード研究的な観点からユーラシア大陸全域を視野に丁家閘五号墓壁画胡人像の尖帽の起源をさぐろうとした労作。関連分野に多くの示唆を与えるであろう。ただいずれの出土品も時代背景を絞り込んだ上で論じられているとは言いがたく、また本論を成り立たせるマトリックスの基本軸である「頭部を高くしようとする欲求」というパラメータが地域習俗や宗教的固有性を捨象してしまっているような気がしてならない。今後、関連するロシアや西アジア考古学の成果や報告を渉猟し、個々の事象分析の上に検証していく必要があるだろう。桑原論文は新潟県妙高市で出土した8世紀の須恵器に墨書された人名「柴原偕伎日」に関するもの。従来、「シバハラノハシキビ」または「しばはらのときひ」と読まれていたものをその墨跡や古訓の分析から「しばはらのみなきび」とよむべきだとする。

 高橋論文と関連するところでは、関尾史郎先生がご自身のブログで高台で発見された尖帽をかぶったソグド人図像について詳細な分析を披露しておられ、その想像力に感嘆する。http://sekio516.exblog.jp/15166541/ もちろんすでに中国の研究者もソグド人像とみているし、影山論文で論じておられることがその傍証ともなろう。http://iwamoto.asablo.jp/blog/2011/02/28/5711852 ただそこまではすでに実証されており、再論をまたない。まずは埋め戻されてしまったという墓葬の精査と今後の他地域の発掘の進展を待ちたい。この分野においても斎藤論文や桑原論文のようにひとつひとつを確実な資料をもって実証を積み上げていく手続きが不可欠であろう。