拝受 西北出土文献研究 第9号2011/07/12 17:57

『西北出土文献研究』 第9号、2011年5月。

【論説】.
町田隆吉、甘粛省高台県出土の冥婚書をめぐって
北村永、甘粛省高台県地埂坡魏晋3号墓(M3)について
高橋秀樹、酒泉丁家閘5号墓壁画胡人像に見られる氈と 「三角帽」
關尾史郎、敦煌新出鎮墓瓶初探ー「中国西北地域出土鎭墓文集成(稿)」補遺(続)-

【ノート】
赤木崇敏、ロシア蔵コータン出土唐代官文書Dx.18921,18940,18942

【訳注】
佐藤貴保、西夏法令集『天盛禁令』符牌関連条文訳注(下)

【集成】
玄幸子、サンクトベテルブルグ所蔵教煌文献(Dx.05001-05500)同定リスト(稿)

 編集にあたられた関尾先生からいただいた。ありがとうございました。前半4点が甘粛「文物」研究で、後半3点が俄蔵「文献」研究の様相をなしており、バラエティに富んだ内容。
 甘粛墓群出土資料は年代比定のむずかしい資料がおおく、本国の発掘調査方法が根本的に改善されることが研究を展開する前提になるとおもわれる。町田・關尾論文はそんななかで情報が割合豊富で年代比定がしやすい鎮墓文資料等を対象にとりあげ、墓葬文化を分析する。同じく墓葬に用いられた吐魯番文献(とくに衣物疏)の研究に通じるものがあるように思われる。
 赤木論文はとりあげた断片を「8世紀後半にコータンに駐留していた唐の鎮守軍やその麾下の軍事機関が発した文書」であることを同定したもので官文書の研究をする者には技術面で学ぶところが多い内容。

新収 Seals, sealings and tokens from Bactria to Gandhara2011/07/12 18:41

Judith A. Lerner and Nicholas Sims-Williams with contributions by Aman ur Rahman and Harry Falk ; edited by Judith A. Lerner and Michael Alram.,
"Seals, sealings and tokens from Bactria to Gandhara (4th to 8th century CE) ", (Studies in the Aman ur Rahman collection ; v. 2.),Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien,2011.

 森安孝夫先生からご教示いただき、購入した。ご教示ありがとうございました。
 英語。 Aman ur Rahman collectionのうち、バクトリアからガンダーラにかけての地域で発見された4世紀から8世紀の印章、封泥類に関するカタログであり研究書。この分野一流の研究者による編集、解説がなされており、本来カタログはこうあるべきものだということを感じる。
 まず写真が適度な大きさで見やすい。図柄の解説も丁寧。またペルシア語、バクトリア語、ソグド語などの銘文やタムガの解説が逐一なされており、この類の資料の性格を分析する方法についても得るところが多い(もちろん自分の能力は棚に上げての話であるが)

 30年間ほどでコレクションをなしたというAman ur Rahman氏はパキスタンの人のようである。別にAman ur Rahman collectionとして”Pre-Kushana coins in Pakistan”( IRM Associates Ltd. Karachi,1995)という書物が刊行されているようである。
http://www.numismaticindia.com/details.asp?Uname=B0019&strItemTyp=16

新収 唐代官修史籍考 ほか2011/07/13 18:56

杜希徳(著)黄宝華(訳)『唐代官修史籍考』上海古籍出版社、2010年11月。
余嘉錫(著)『漢魏両晋南北朝史叢考』国家図書館出版社、2010年12月。

前者はDenis C.Twitchett,"The Writing of Official History under the Tang"、1992年の翻訳。後者は巻頭におさめられた『太史公書』亡篇考など、おもしろい考証モノを含む。

 このジャンルの書籍をみるといろいろ思い起こすことがある。
 自分は一応南北朝仏教史を専門のひとつとしていた先生のもとで卒論を書き、大学院の指導教員のもとで出土資料文献の研究にふれると同時に、内陸アジア史に視野をむける重要性を知り、平行して4年間、目録学の授業(出身大学院ではその短期間にしか存在しない授業であったと思う)を受けた。『史記會注考證』を読む研究会には学部生時代から関東を離れるまで都合10年くらいいた。北朝政治史で修論を書こうとしていた(書いた)自分にとって、目録学や『史記』がどう役立つのかは深く考えないでいたが、要領がよいわけでもたいして優秀でもないので研究発表や読み手になるたびに冷や汗をかくことになった。そしてその後まもなく性懲りもなく全く性格の異なる学内外3,4つの小研究会に同時に属した。
 今振り返れば、そうしたあれこれがないまぜになって興味のもとをつくり、(傍目にわかりにくい)現在につながったのだと思う。またそれらを自分の中で消化していくことに著しく時間がかかった(かかっている)のだと思う。
 最初に手がけた論文の分野は北朝史だったが、その場には先達はいてもそればかりをやっている専家がいたわけではなく、その後に展開する中国医術史の専家も身近にはいなかった。ただいずれの先生も一口で言い表せる時代の専家ではなかったから、むしろ単一時代単一分野にしぼらないで、常識ではつながらないものをつないでいくことが自分の環境にかなった考え方であると思って今に至った。
 前者は原書1992年、後者は1963年刊行であるから、いずれもその頃でも入手可能だったし、ともに同著者の別の著書か論文をかじっていたはずだが、この二冊は読んだ記憶はない。
 拾い読みをしつつ、初心をおもいおこし、再度自分が眼を向けてきた分野を見つめ直してみることにしたい。

紹介 越後の大名 展覧会2011/07/14 00:14

 ここ10年にみたうちでずばぬけて格好のいいポスターデザインだと勝手に思ったので、例外的にアップしてみた。

夏季企画展「越後の大名」
 2011年7月30日(土)~9月11日(日)
新潟県立歴史博物館
http://www.nbz.or.jp/jp/index.html

 単に鎧から個人的に連想することで全然関係ない話だが、自分が正史を用いて書いた論文の抜き刷りを日本中世史専攻の友人に渡したところ、六国史のような正史中心で書いた論文に意味があるのかといわれ、愕然とした記憶がある。中国古代史は基本的に正史編纂史料の背景まで読み込み、雑史もまじえて多角的に論証するもので、日本とは識字層や史館(官)制度、残された史料の字数にも著しく差があると応酬したものの、「後世に記録として残すことを意図していない史料を読み込むことではじめて可能になる歴史叙述」が成り立ちうるのは当然で、それが彼が属する世界の「常識」で、自分は異なる「常識」の中にいたわけである。
 そして何十年後かに同じ日本中世史分野の著名な先生にあなたの専門とする時代に貴族でも豪族でも土地の有力者でもなく、過酷な状況から逃げてでも生き延びようとした「名前さえ残らないような人たち」に関する史料はないかといわれ、かんがえさせられることがあった。この先生はそういう人たちの生命力みたいなのをうまく描きだすのだが、私には思うような史料は提供できなかった。たしかに両国間で伝存した史料には歴然とした性格の差がある。「中世」とかいったって800年以上離れているわけだ。ただそういってしまえばそれまでではある。
 ともかく自分のいる世界の「常識」はいつもうたがってみたほうがおもしろいものがみえてくるのだと思っている。

新収 ハウス・オブ・ヤマナカ2011/07/14 17:55

朽木 ゆり子(著)『ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商』、新潮社、2011年3月。

序章
第一部 古美術商、大阪から世界へ
第二部 「世界の山中」の繁栄
第三部 山中商会の「解体」
終章

 国内外の美術館や博物館の展示品には寄贈されたり、発掘された国で保管してきたモノもあるが、20世紀初めの「探検隊」や植民地統治下期に持ち去られた文化財に由来するものもあるし、古美術商を経由して購入されたものもあり、その由来は様々である。

 山中商会とは東洋美術系の展示をよく見る人にはどこかで聞いたか見たことのあるはずの名前で、戦前まで世界に支店網をもった古美術業者であったが、資産のほとんどが国外にあって戦後は解体消滅してしまったため、その詳細はこれまで知られていなかったという。

 それまで主流だった対面販売でなく、会場で品物を展示してから販売する新しい手法で客を集め、某財閥のコレクション形成に一役かい、パリ万博(1867)以降の日本ブームに乗って海外進出、清朝崩壊後に中国美術にも手を広げ、経営を拡大したとされる

 北斉~隋唐期に造営された天竜山石窟など(第9章)でのくだりなどは当時の感覚はそれとしても、文化破壊そのものである。終章ではその一部が海外のオークションにかけられることになった2008年に、山西省の人が評価額の4倍で落札した様子の描写でしめくくられている。良質なノンフィクション。

関連論文(本書の著者から資料提供をうけ執筆されている)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2008/ym01.pdf

amazon
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103289511/

称猫庵氏による紹介
http://syoubyouan.blogspot.com/2011/04/blog-post_09.html

新収 中国敦煌学論著総目2011/07/14 19:06

樊錦詩・李国・楊富学(編)『中国敦煌学論著総目』甘粛人民出版社、2010年8月。

1900年から2007年までの中国語で書かれた敦煌学関連の記事や、論文、著書の索引。項目別に排列されており、著者名索引がつく。CNKIで代替できるような気もしたが購入してみた。

姜伯勤(著)『唐五代敦煌寺戸制度(増訂版)』中国人民大学出版社、2011年2月。

増訂されてない版もすでに購入済みだったはず。

新収 朝鮮史研究入門 ほか2011/07/15 20:15

朝鮮史研究会(編)『朝鮮史研究入門』、名古屋大学出版会、2011年6月。
森平雅彦(著)『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』、山川出版社、2011年5月。

 朝鮮史研究入門は入門書であり、通史でもあり、史料解題事典でもあるという充実した内容になっている。中国歴史研究入門より50ページほど厚い。後者はこれから移動することが増えるのでその際に読もうと購入。

新収 東洋史研究 ほか2011/07/21 22:27

『東洋史研究』第70巻1号、2011年6月。
 鈴木宏節、唐代漠南における突厥可汗国の復興と展開

『史学雑誌』第120編第6号、2011年6月。
 伊藤一馬、北宋における将兵制成立と陝西地域―対外情勢をめぐって
 河内春人、(書評)中野高行著『日本古代の外交制度史』

 河内書評からは史料を用いて制度や「国家」を概念として論じることの難しさをあらためて考えさせられた。
 鈴木論文は突厥可汗国の拠点のひとつである「黒い沙漠」遺迹の比定と突厥碑文の解釈によって漢文史料には記されない突厥側の対唐動向をみいだし、伊藤論文は北宋の軍事単位である「将」の編成と設置の分析からその対外政策をよみとろうとする。実証しようとする内容だけでなくベクトルも逆だが、所謂中国王朝(論じられているのは唐と北宋)がユーラシア東部全域の動向と密接に関わっている(その一部である)とみる点では通底するようである。

拝受 唐の貢献制と国信物2011/07/24 19:00

石見清裕、唐の貢献制と国信物―遣唐使への回賜品、『学習院史学』第49号、2011年3月。

石見先生からいただいた。ありがとうございました。
 石見先生がこれまで発表された論文数本をわかりやすくまとめた講演録。最後の一文は壮大な世界史的展望にしても、基本的に逐一、史料の提示がなされ、実証的な内容となっている。
 拙稿で引用させていただいた石見先生の貢献制に関する論文も下敷きのひとつとなっており、自分自身の研究の意義を考え直す際に有用な示唆となるようにも感じた。

http://iwamoto.asablo.jp/blog/2008/12/26/4028239

拝受 唐のテュルク人蕃兵2011/07/25 18:42

山下将司、唐のテュルク人蕃兵、『歴史学研究』第881号、2011年7月。

山下先生からいただいた。ありがとうございました。
 唐にとりこまれた突厥兵力の「部族解散」の有無について先行研究を援用しつつ論じたもの。唐はその部族組織を維持したままとりこんでいたことを論証している。
 唐の軍事力の全体の一部である蕃兵について論じているというより、唐王朝の軍事力の性格そのものの一端を扱ったものともいえるだろう。