拝受 唐代エリート官人の昇進経路の形成とその展開 ― 2008/05/14 20:26
小島浩之、唐代エリート官人の昇進経路の形成とその展開、『東洋文化研究』第10号、2008年3月。
小島さんからいただいた。ありがとうございました。
小島さんからいただいた。ありがとうございました。
新収 直江兼続とその時代 ― 2008/05/14 20:29
渡辺三省(著)『直江兼続とその時代』野島出版、1980年。
最近ちまたでブーム(笑)らしい兼続の伝記のひとつ。
著者が最初に記しているとおり、木村徳衛の著書に依拠するところがおおく、その誤りも踏襲しているようだが、漢籍や漢詩に関する記事にかなり字数がさかれており、その見解には創見もおおい。また史料や参考文献だけでなく記述の根拠も明示されており、考証の是非はおいてもすぐれた伝記といえるだろう。
なお、木村徳衛(著)『直江兼続伝』は戦時中に刊行され、戦後にいくばくか非売品として再刊されただけだが、その後、刊行された伝記としてはこれを越えるものはない(もちろん、学術書やいくつかの専論は別格である)。一般に流布するおおかたの伝記は史料をみたというより、木村や渡辺の著書に依拠して書かれたとさえ思われる。
現在入手しやすいものでは渡辺三省『正伝直江兼続』あたりがなかなかなのかもしれない。ただ立ち読みしたかぎりでは、やはり木村の影響が強い感じはあった。
最近ちまたでブーム(笑)らしい兼続の伝記のひとつ。
著者が最初に記しているとおり、木村徳衛の著書に依拠するところがおおく、その誤りも踏襲しているようだが、漢籍や漢詩に関する記事にかなり字数がさかれており、その見解には創見もおおい。また史料や参考文献だけでなく記述の根拠も明示されており、考証の是非はおいてもすぐれた伝記といえるだろう。
なお、木村徳衛(著)『直江兼続伝』は戦時中に刊行され、戦後にいくばくか非売品として再刊されただけだが、その後、刊行された伝記としてはこれを越えるものはない(もちろん、学術書やいくつかの専論は別格である)。一般に流布するおおかたの伝記は史料をみたというより、木村や渡辺の著書に依拠して書かれたとさえ思われる。
現在入手しやすいものでは渡辺三省『正伝直江兼続』あたりがなかなかなのかもしれない。ただ立ち読みしたかぎりでは、やはり木村の影響が強い感じはあった。
再読 「荒ぶる神」と日中の祭祀儀礼 ― 2008/05/14 21:26
廣田律子、「荒ぶる神」と日中の祭祀儀礼、『東方』第322号、2007年12月。
先日、ある先生から日本の東北地方の「祭文がたり」のCDをいただいた。サイモンと読むと教わったのだが、それで人名「ガー・・・」を連想するのでは私と同じ俗人か、オジサンである。
そういう私がちょうど、ためこんだ『東方』を整理していると、偶然にも廣田先生の一文にあたった。このなかには中国や日本など東アジアの祭祀でもちいられる「祭文」が紹介されていた。とくに目が向かったのは岩田勝『神楽源流考』を参照しつつ、日本の中国地方や三河あたりの祭りでもちいられる祭文を紹介しているくだりであった。これらは日本で用いられているものであるにもかかわらず、盤古説話が主題となっており、土公神とも無関係ではないようである。そして文面をみるとそれはしばしば敦煌文書にでてくる呪文とそっくりなのだった。
まあ、「急急如律令」のごとく、といえばそれまでではある。
ただし、私がもらった「祭文がたり」の題名は「牛若丸云々」ときわめて日本的であるし、上記のものとは成立年もかなり違うのであろう。まずは聞いてみることにしたい。(追記:どうも主題自体はこのURLの神楽に似ているようにも思われる。http://www.shouzi.co.jp/gagaku.html)
ともかく少数民族のものをふくめ、祭りや儀式は、それが日常生活やある空間にいきづいていてこそ意味があるものであろう。昨今の事件や事象には心痛むばかりである。
先日、ある先生から日本の東北地方の「祭文がたり」のCDをいただいた。サイモンと読むと教わったのだが、それで人名「ガー・・・」を連想するのでは私と同じ俗人か、オジサンである。
そういう私がちょうど、ためこんだ『東方』を整理していると、偶然にも廣田先生の一文にあたった。このなかには中国や日本など東アジアの祭祀でもちいられる「祭文」が紹介されていた。とくに目が向かったのは岩田勝『神楽源流考』を参照しつつ、日本の中国地方や三河あたりの祭りでもちいられる祭文を紹介しているくだりであった。これらは日本で用いられているものであるにもかかわらず、盤古説話が主題となっており、土公神とも無関係ではないようである。そして文面をみるとそれはしばしば敦煌文書にでてくる呪文とそっくりなのだった。
まあ、「急急如律令」のごとく、といえばそれまでではある。
ただし、私がもらった「祭文がたり」の題名は「牛若丸云々」ときわめて日本的であるし、上記のものとは成立年もかなり違うのであろう。まずは聞いてみることにしたい。(追記:どうも主題自体はこのURLの神楽に似ているようにも思われる。http://www.shouzi.co.jp/gagaku.html)
ともかく少数民族のものをふくめ、祭りや儀式は、それが日常生活やある空間にいきづいていてこそ意味があるものであろう。昨今の事件や事象には心痛むばかりである。