新収 社会学入門2008/05/31 00:09

見田宗介(著)『社会学入門』(岩波新書)、岩波書店、2008年。

 大学生協で教科書向けに積まれていたにちがいないこの本を開いて少し読み進めたとき、ある感覚を思い出した。

 高校時代、私が教わった国語の教師はたぶん、真木悠介(=見田宗介)の文章が好きだったか、それともそれを高校生に読ませてみたいとおもったのであろう。真木悠介の文章をなんどかよむ機会にあい、大変関心を持った。非常に明晰でありながら確実に内面にそして自分の周辺に深く降りていける感じがしたのである。「時間」「空間」「間」「共同体」「他者」、どこにでもある概念がその階段になっていた。

 そもそも高校で社会学は学ばないわけだが、そういう科目があれば、自分は今頃、中国史などを専門にしていなかった可能性さえあっただろう。今思えば、(数年後には違う読み方もできるであろうが)大学生になって「共同体論」にひっかかったのは、そこに伏線があったのかという気さえする。 

 ただ史料自体に沈潜してそのおもしろさ(個々の史料の叙述の固有性)にはまってしまうと、「心性のおおづかみ」で歴史や空間を語るという論文などの「叙述」テクニックを怪しまずにはいられなくなる。なぜそのようにおおづかみできるのか、その潮目をじかに確認しないともはや納得ができない。

「近代の「知」のシステムは、専門分化主義ですから、あちこちに「立入禁止」の札が立っています」「しかし、この立ち入り禁止の立て札の前で止まってしまうと、現代社会の大切な問題は、解けないのです」(本文より)
 領域横断や斬新なテーマへの挑戦ができない分野がやせ細っていくのは当然だろう。ただ不幸なことに、かつて教わった歴史学というのは「区分」からときはじめ、そこに妙な威厳をもちすぎていた気がする。

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